スティーブ・ジョブズが全ての“決断”を任せた男

「いやいや、スティーブの代わりですって? やめてください、彼の代わりは誰にも務まりません。世間の人にはそこを理解してもらいたいですね。私は70代で白髪交じりのスティーブが、私の引退したずっと後も働いているのが目に浮かぶんです」

かつて、アップル社の“顔”として長らく同社を牽引し続けてきたスティーブ・ジョブズが存命であった頃に、そう語っていた男。すなわち、ジョブズ亡き後にその後継者となったティム・クックだ。

彼は約10年に渡ってジョブズの右腕としてその辣腕を揮い、誰よりも彼の掲げる「アップルイズム」を理解し信奉する人物ではあったものの、彼がジョブズの亡き後に「アップルの新しい顔」となり、同社を1兆億企業へと成長させることになるとは、誰も思ってはいなかったことだろう。

それほどまでにジョブズは神のような存在であり、彼が長年率いてきた同社の躍進は、まさにリアルタイムで紡がれていく神話のようなものであったからだ。しかしリーアンダー・ケイニーの著書『ティム・クック – アップルをさらなる高みへと押し上げた天才』(SBクリエイティブ刊)によると、ジョブズはその闘病生活において自身の余命を悟ると、まず真っ先にクックを自宅へと呼び寄せ、彼にCEOの座を譲り自らは会長職へと退く意向を伝えていたのだという。

しかし、『ニューヨーク・タイムズ』誌とYahoo!で記者を勤めているデビット・ポ−グが「会長になっても、ジョブズがゴッドファーザーであり続ける可能性は高い。彼は依然として多くの糸を操り、慎重に作り上げたチームに自らのビジョンを伝え、会社が進む方向について意見していくだろう」と語っていたように、ジョブズは会長職へと退いた後も、それまでと変わらぬように陣頭指揮をとり、すべての事業について「モノ言う存在」であり続けるであろうと世人の多くは考えていた。だが当のジョブズだけは違っていた。

「君がすべての決断を下すんだ」

ジョブズは2011年8月11日、クックを自宅へと呼び寄せると、病床にありながらも彼と活発な議論を交わし、彼に対してこう語ったという。

こうしたジョブズの対応に困惑しつつも、激しい議論を交わすなかで、日を追うごとに、彼の意志をくみ取っていったクックは、ほどなくしてCEOへの就任を承諾。もともと彼の手腕と、ジョブズからの信任の厚さを知る取締役会はそれを承認し、ついにクックはジョブズの正式な後継者となった。

無論、巷ではクックが後継者となったことで、アップルの躍進に陰りが出ると見る向きもあったが、ジョブズの遺作ともいえる「iPhone4S」は、それまでに発売されていたどのiPhoneよりも好調なセールスとなり、発売後最初の週末だけで400万台の売上を記録することとなった。

その後も「ジョブズ亡き後のアップル」をクックは見事に指揮し続け、さらなる躍進を遂げることとなったが、アップルのような大企業に限らず、成功を収めた先代を持つ後継者というものは、得てしてその重圧などから舵取りを誤り、ややもすると廃業へと追い込む戦犯となってしまいがちだ。
しかしそうした事態にはならず、さらなる飛躍を同社にもたらしたクックは、極めて優れた経営者であるといえる。そして、そんな彼を後継者に据え、大方が予想していた「院政」を敷かなかったジョブズもまた、優れた経営者であったといえるのかもしれない。

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