それでも真実は美しい。それでも人生は愛おしい。 『すばらしき世界』

その衝動の源は、怒りというよりも憤りと言った方が正しいのかも知れない。

服役生活が実生活よりも長い男が、13年の刑期を終えて出所の日を迎える。所長らしき人物から「反省しているか」と問われ、「あの若造が、」と苦虫を噛み潰したかのような雑言を発する。男にとって、日本刀を持って難癖をつけられた自分こそ被害者であり、還す刀で斬りつけたとはいえ、筋道を外したとは到底思えない。だが、11箇所もの刺し傷によって人命を損ねたことは歴然たる事実なのである。

自分が考えているように世の中は動かない。周りの人だって、男からすると本音と立て前を巧みに使い分けている。常識的な暮らしをしていても、誰もが日常的なストレスを抱えて鬱憤を胸に溜め込んでいる。同時に小さな憂さ晴らしを繰り返している。この偽りに満ちた不寛容な世界に、元ヤクザで殺人犯という疵を持った男が帰ってくる。

カタギとして生きていく。

男の決意は固く、誰に対しても謙虚だ。だが、彼は理不尽な行為を許すことができない。夜中に騒ぐ出稼ぎ外国人、帰宅途中のリーマンに言いがかりをつけるチンピラ、自分に対して善人ぶってお節介を焼く近隣者…。
無意識に自らの優位性を前提に言下には蔑視が潜む。男には彼を見下し憐れむ態度がいちいち気に触る。見えない瑣末が蓄積し、ある瞬間に、獰猛で憤懣やる方ない衝動が覚醒するや、手をつけられない暴力となって吐き出される。制御不能な男の内なる魔物が目醒めるのだ。

次の瞬間なにをしでかすか、自分ですら予測できない男。この難役に挑んだ役所広司の確かな演技力に、フリーのディレクターとして男に近寄る仲野大賀の献身的な芝居が寄り添う。なんたるかな、このすばらしき共演。

キャラクターの造型も良い。男には高血圧という時限装置が仕掛けられ、発動のタイミングを待つ。ストレスは天敵であり、手っ取り早く塩分過多の食生活が続く。だから薬を手放すことができない。

生きる目的が見出せない青年は、破天荒な男の行動を目撃すると慌てて逃げ出すが、母に会いたいと願う彼に寄り添うことで新たな気づきを得る。

ピンポイントで登場する白竜扮する昔気質のヤクザ、その妻を演じたキムラ緑子が艶のある囁きで度肝を抜く。その劇薬は、男を逃す場面で更なる効果をもたらす。

『すばらしき世界』は、ありのままを切り撮った映像で見せる。空を漂う心象が、時にはぼやけた描写となって音もなく綴られる。行間に散りばめられた美しい映像には静謐な力が宿る。画角設計に気を配り、男の心象を映像に込めようとする監督の意図を汲み、冴えた映像で応えた笠松則通の功績は大きい。

それでも真実は美しい。

それでも人生は愛おしい。

映画を観終わった時、西川美和監督がタイトルに込めた想いがほんの少しだけ判ったような気がした。

それでも希望はあり、確かに存在しているのだ、と。

ワーナー ブラザース 公式チャンネル/YouTube

『すばらしき世界』大ヒット上映中

©︎佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

文・髙橋直樹

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