過酷さのレベルが違う 地獄から這い上がった男、レイ・アレン

米国のプロバスケットボールリーグNBAで、最もスリーポイントシュートを決めた男こそレイ・アレン氏その人である。高校時代から頭角を現し、大学時代にはビッグイーストの最優秀選手賞を受賞。ドラフトでプロ入りした後は、2つのチームでそれぞれNBA優勝を経験する。アフリカ系アメリカ人の凄腕シューターとして名を馳せるも、2016年秋に引退を発表した。

NBA/YouTube

書籍『レイ・アレン自伝 史上最高のシューターになるために』(レイ・アレン、マイケル・アーカッシュ 共著/東邦出版)でアレン氏は、全体の3分の1を割いて学生時代を振り返っている。特に中学生くらいまでは、日本人に馴染みのないレベルでの貧困や差別にあえいでいたようだ。父の仕事の都合で母と5人兄弟は引っ越しを繰り返し、母国のほかドイツ、イギリスで暮らした経験を持つ黒人の少年にとって、家族が落ち着いた米国南部サウスカロライナ州は1980年代でも古い価値観が支配する土地だった。

通い始めた中学の水道から出てくる水は茶色く濁り、バスに乗れば肌の色で派閥が分かれる。歴史の授業では、米国のリーダーではなく奴隷所有者だったサウスカロライナ州のリーダーについて学び、白人の女の子と友達になれば目をつけられ、それでいて中学生で妊娠しているクラスメイトがいる。話し方ひとつとっても、白人みたいだと難癖をつけられる。そんな中で、白人でも黒人でもない第三の道がアスリートだったのだという。

父が整備士として勤める米軍基地のコートで、中学生にして大人に混じりバスケットボールの腕を磨いてきた彼にとって、スポーツがどれほど希望の光だったことか。さらに高校2年生の時には、2つ年上の恋人との間に娘が誕生。結果的に彼女とは大学2年生の時に別れるわけだが、得意なバスケットボールでNBA入りし、プロになって生活するという夢の重さは高校生が抱えるレベルの悩みなのかと、ふと考えてしまう。背負っているものの違いに、自らの過去を振り返って気が遠くなる人もいるはずだ。

試合にただ勝つだけではなく、圧倒しなければならない。それが彼が意識したことだった。いくつもの大学からのオファーを受けて進学し、よりストイックに研ぎ澄まされていく姿は、NBAが欲しがるのも当然に映る。それでも大学3年生を終えてプロ入りしたときはドラフト5位だったというのだから、栄誉とはいえNBAはなんと厳しい場所なのだろう。

アレン氏にとってバスケットボールは、アメリカンドリームであると同時に、生きるための道そのもの。様々なものを背負っている選手同士がぶつかり合う舞台、NBAの試合が面白いのには理由がある。

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