「これ、やるよ」
吹き抜けの階段の最上階で、不思議な笑みを浮かべ、長髪を揺らしながらその人は言った。手すりからふと階段の下を覗くと、子どもの頃の自分と目があったような気がした。
それは、M-1グランプリ2004で初めて見て、大好きになった人だった。
僕の手に渡されたのは、3枚の靴下だった。
白い靴下に、ふちのところがカラーリングされていて、それぞれグラップラー刃牙のキャラクターがプリントされていた、赤の靴下に範馬勇次郎、灰色の靴下に範馬刃牙、青の靴下に花山薫がいた。
M-1グランプリ2004で、POISON GIRL BANDは僕の目の前に圧倒的な質量をもって突如として降ってきた。中日をミルクと混ぜて中日オレにして、缶の底に溜まったつぶつぶ中日を飲もうとしていた。
絶対お笑いで1番になるんだ!
夜、真っ暗な布団の中で、根拠のかけらもない自信を全身にまとわせ、全部ぶっ倒してやる!と妄想だけが毎夜爆発炸裂していた太っちょでどうしようも無い一度もボケたことなんてない僕の目に、その時のポイズンさんは、白夜のように美しく光っていた。
中日の選手の帽子からは鳩は出てこないけど、僕の布団の隙間からは、ボッサボサの鳩が無限に飛び出していった。
M-1グランプリは、たくさんたくさん好きな芸人さんを脳と心に増やしてくれた素敵な大会で、ポイズンガールバンドさんは、その中でも、脳でも心でもベスト3に確実に入る好きな芸人さんになった。
僕は、POISON GIRL BANDが大好きになった。
初めて自分でお金を出して行ったライブは、ポイズンさんの1時間漫才ライブだった。
1時間笑いっぱなしで、漫才は爆発だ!
と興奮して、何故か岡本太郎になったような気持ちで家に帰った。
その後太陽の塔内部を登ったことがあるけど、登って降りて1時間くらいあった気がする僕の中ではPOISON GIRL BANDの1時間漫才の方が面白かった。
その後NSCの門を叩いて首になってランジャタイを組んでソニーに入ってフリーになってあっという間に過ぎた8年間、
フリー時代の5年間は、ライブも出ずにずーっと家にいて、毎月自分たちの家に集まり、ビデオに撮りためたランジャタイの漫才をランジャタイ2人で客として見るという単独ライブを開催していた。
ちゃんとライブの雰囲気を出すために、一度喫茶店などで待ち合わせをして、一緒にライブ会場(家)に行ったりしていた。
第9回が滑りすぎて、アンケートにお互いの悪口を書きまくり大喧嘩になった。
そんな調子で外の世界を知らないまま、全くの鳴かず飛ばずM-1予選は全て一回戦落ち。
コンビ名を変えたり再エントリーなどを駆使して、1年間に3回一回戦に落ちたこともあった。
そんななかやっと進めたM-1グランプリの2回戦、2015年10月22日
Hグループにランジャタイ、大トリにはPOISON GIRL BANDがいた。
相当な気合を入れて望んだ2回戦、
『高校最後のサッカー試合、同点でPK戦へ。そのラストキッカーに選ばれた。決めたらヒーローだ』
という漫才で挑んだ。
かなりお笑いをいただいたなーと思うものの、結果は敗退。
その結果を見た時は納得がいかなかったけど、今になってよく振り返ってみると、僕らの前の出番だったや団さんが、裸でプロレスのマスクをかぶり出ていって、雄叫びをあげながらお互いの胸にチョップしまくり、まだ漫才の途中にもかかわらず、無笑のなか袖にはけてきて胸ぐら掴み合いの喧嘩を始めた(ロングさんがいらないアドリブを入れたらしかった)のが面白すぎて、身を乗り出して笑ってしまい、ランジャタイ2人とも袖から一瞬出てしまったので、それが原因なのかもしれない。失格。
それはそうと!
舞台袖をふらふらしていた僕たちの目の前に、吉田さんが現れた。
うわ!吉田さん!とびっくりする間もなく、吉田さんが話しかけてきた。
「うけた?」
!!
僕は、第一声で「大好きです」
と言いそうになるのをすんでのところでこらえ、うわあひゃああと脳内がぐるぐるしてまともなお話になりそうになかったのでどうしようと目を白黒させていると、国崎くんがすらすらと普通のことみたいに会話していた。
「うけましたよ!次の予選でまたお会いしましょう!」みたいなことを言っていたきがする。もちろん我々は見事敗退したのでこの時の国崎くんはただの嘘つきだった。
後でわかったのだけど吉田さんは僕たちのことを知っていてくださったみたいで、たくさん漫才を褒めてくださって、色々な方とランジャタイを繋げてくださって、たくさんライブもご一緒させていただいて、呼んでいただいて、気がついたら
『もしもポイズンとランジャタイが天下を取ったら』
なんてタイトルのライブまで開いていただいた。
(ポイズンさんとランジャタイが天下をとった仮定の世界で、天下人として、世間の話題を好き放題無責任に斬りまくる!みたいなライブです。)
凄すぎる嬉しすぎる楽しすぎる!
そんな中で、阿部さんとグラップラー刃牙の話題で意気投合し、本当に色々な事があった。
何度もご飯に連れて行っていただいたり、阿部さん考案のオリジナルゲームをしたり、
(それぞれが行きたいお店を選びジャンケンして勝つとそのお店の前に行ける権利を得る事ができ、お店の前でまたジャンケンをして有権利者が勝てばその店に入れる。負けたら1からやり直し。
階段があった場合はその階段を上る権利のためのジャンケンをまたあらためてしないといけない。負けたらやり直し。
お金は阿部さんが全部払ってくれる。3時間ほど下北の街を歩き回ったこともある。最後の方は、自分が生み出したゲームなのに、どこでもいいから入りたいと阿部さんが泣いていた。)
カナリアのボンさんの家に住みそうになったり、
(3人でご飯を食べていると、急にボンを呼ぼうと言い出し、その時の僕らは完全に無名だったので、阿部さんが思いつきで、お前ら、芸人目指して田舎から出てきて、今日おれの出待ちしてきてそのままついてきたやつの設定でいこう。とおっしゃる。
ボンさんが来て、その通りに純朴な田舎の青年を熱演していると、最初は疑い半分だったボンさんが途中から完全に信じてしまい、阿部さんの「こいつらいくとこないからよ、ボンの家に住まわせてやってくれよ」との提案に、まさかの承諾。ボンさんの家に向かう途中のコンビニで、ボンさん「お前ら腹すかせとるやろ、遠慮なく何でもカゴに入れろ!」
怖くなってくる僕たち
阿部さんもドン引き、「あいつやべーだろ、逃げるしかない」の一言で商品を選ぶボンさんをまいて逃げ出した。その後しばらくしてボンさんから鬼電、やばいこれは全部ばれた怒ってる、と恐る恐る出てみると、「どこいったんや!大丈夫か!変なとこ行ってへんか!」とまさかの田舎の青年へ向けた心配の電話だった。
流石に事情を話して、実は芸人をやってるんですとしてあらためて謝罪とご挨拶をさせていただくと、「やってくれたな」とあきれ笑いをされていた。なんて優しい!)
阿部さんのバイクの背中に乗せてもらって安藤なつさんの家にたこ焼きパーティーに行ったりもした。
(僕は初バイクに、阿部さんの背中にしがみついて、ジェットコースターみたいな感じで1人ギャーギャー騒いでいた。)
今はもうあまりにも眩しすぎてあの頃の記憶は光の中に消えて行ってしまいそうだけど、僕は今も夢の続きを生きている。
ある日、下北沢の劇場でポイズンさんと一緒になった。
「これ、やるよ」
吹き抜けの階段の最上階で、不思議な笑みを浮かべ、長髪を揺らしながらその人は言った。
M-1グランプリ2004で初めて見て、大好きになった人だった。
僕の手に渡されたのは、3枚の靴下だった。
白い靴下に、ふちのところがカラーリングされていて、それぞれグラップラー刃牙のキャラクターがプリントされていた、赤の靴下に範馬勇次郎、灰色の靴下に範馬刃牙、青の靴下に花山薫がいた。
2016年以降、M-1グランプリの全予選の漫才で、この阿部さんにもらった靴下を履いている。
まだこの靴下で決勝に辿り着けてはいないけど、いつかきっと必ず出たい。いや絶対に出る。
最初は真っ白だった靴下も、なんだかすっかり黒ずんでしまった。
それでも目指すは1番だ。勝つぞー!
後2年!やば!
その日の予選の並びの列は、吹き抜けの階段になっていた。受付をすませ、舞台への階段をゆっくりとのぼる。
ふと上を覗き見上げた。
子どもの頃の自分と目が合ったような気がした。
文・ランジャタイ 伊藤幸司

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