ポロ・ラルフローレンとヒップホップ | Yu-tang(Urbanryders)×DAK-LO (西山理髪店オーナー)×G.O.Kインタビュー #1

1988年、N.Y.BrooklynのGang集団「United Shoplifters Association」と「Ralphie’s Kids」この2つの異なるクルーが1つになって誕生した。

彼等はアメリカの大手チェーン百貨店Macy’s、Bloomingdale’s、5番街を拠点とする高級百貨店Saks Fifth Avenue、などに並ぶ『Ralphlauren』を誰よりもいち早く彼等のやり方で手に入れ(その総額は何と5億円以上)地元Brookynに持ち帰り、Lo Down「全身をRalph laurenで着飾る事」し注目を集めた。

「LO-LIFE」の名前の由来はGhetto、底辺で貧しい生活、と言う事も勿論だが、創立者の1人Thirstin Howl The 3rdが当時付き合っていた彼女が居るにもかかわらず違う女の子の電話番号をGetしてしまった事に腹を立てた彼女が怒って「あんたはなんてLO-LIFEなの!」と罵声を浴びせられた事から「そうだよ俺はLO-LIFEだ」と言う様な事からも自分達をLO-LIFEと呼ぶようになった。

元々『Ralph lauren』は中流階級の白人層に目掛けて創られていたブランドで、その当時はまだ『Ralph lauren』に限らず1つのブランドで全身を着飾る人間は白人に限らずもちろんN.YのStreetで息をする貧困層達にもまだ存在して居なかった。そこにはアメリカで今でも問題となっている人種差別的な要素が背景として物語っている。
だが彼等はその様な状況を逆手に取るかのように自分達LO-LIFEの活動を活発化させていった。彼等の存在を全世界に知らしめたのが何と言っても1992年に『Polo Ralphlauren』がバルセロナオリンピックのユニフォームを手掛けた通称、Stadium Collectionが決めてとなる。

1992とプリントされた帽子やTシャツ、スウェット、パーカ、ジャケット海水パンツで全身を着飾るその姿はN.Yを始め、全世界のHip Hop Prayerやファン達を瞬く間に魅了した。

Polo Ralph Lauren/Times SquareでのPoloファッションバトル「Lo Goose On The Deuce」で優勝を果たしたUrbanrydersのYutangと本場N.YのLO-LIFEのO.G.であるRack-LoからDAKーLoの名前を貰った西山理髪店オーナーのDAKをゲストに渋谷のHIDE OUTやBOOT STREETの代表として活動したG.O.Kをホストに迎え、Poloに限らず様々な視点からHip Hopを体現する3人によるロングインタビューが実現した。

以下

Yutang Y:

DAK-LO D:

G.O.K G:

■先ずはファッションからで2人は少年時代は、お互いに出会っていないと思うけど、どんな服を着て遊んでたの?

D:小3の時に中学の先輩が着てたボンタンとかをサンプルしたジーパンがイトーヨーカドーで売ってて。あとニューヨークタイムズの新聞記事全面プリントの開襟シャツが新鮮に記憶に残ってます。
エナメルの細いベルトも(笑)龍の刺繍の財布とか流行った。湘南の端っこで育ったから暴走族に憧れてた。自分の周りで流行っているものを追いかけると言うスタンスはPoloであってもボンタンでも変わらない。「ガキの頃から来てるぜPolo」ってメッセージをThirstin howl the 3rdとの曲内で言っているのもあるけど、兄弟でお揃いのRalphlaurenを散々着せられててそこを崩したくて、ヤンキー服とRalphlaurenとかBENETTONとか混ぜて着てました。

■いつどんなきっかけでこの日本のHip Hopカルチャーに入っていったのかな?

Y:小学校高学年から中学位の時に母親がMichael Jackson、Hammer、Bobby BrownとかTeddy RileyとかGuyの猛烈な追っかけファンで89年から93年位の話で東京ドームとか横浜アリーナの最前列でショーを見させてもらったり、家に帰ったら『Do The Right Thing』がヘビロテで流れてて。その流れで今度はPublic Enemyを知り上野に買い物しに行った時にPublic EnemyのツアーMA-1見つけてそれを着て地元の駄菓子屋に居たら凄いテンションで大学生みたいなお兄さん達が「オメェなんだよ!凄いね!どこで買ったの!?」って話しかけられてお互いテンションブチ上がりで仲良くなったりとか。まだHip Hopが世間で認知されていないし情報が無い時代だったので同志に街中で遭遇するなんてマジでレアな出会いだったんだよね。

日本のHip Hopというかラップは中2位の時に深夜放送で荒川ラップブラザーズ見てHeavy Dみたいで面白いなと思ったのが最初かも。で高校の頃に川崎チッタで見たZINGIとか強烈でしたね。95年位はスチャダラパーが凄く好きだったりしたかな。サマージャムとかね。この曲の影響でモンタラネタを網羅する勢いで掘っていくんだけど。当時から僕はバイク中心のライフスタイルだったから、あんまり巷でいうヘッズみたいな感じでは無かったかも。さんぴんCAMPもダビングしたビデオで見てたかな。でブッダの休日とかMUROさんのコンクリートジャングルやkenseiのテープとか好きでしたね。

D:ファッション的に意識したのはKris Krossが最初です。「JUMP」とか真似して上下前後ろ逆で。たまたまその時ホワイトソックスのユニフォームを持っていたので逆にして上がってました。それが小学6年生でした。音楽的に入ったのは当時TVKのミュートマジャパンていうPV番組でWarren GのThis DJが最初です。そこからG-FUNKを聴いてて。14歳からアメリカに住み始めて丁度色々と重要なアルバムがリリースし始めたんです。Wu-Tang Clanとか。

学校で一緒の奴がDJで彼がいろんなレコードを持っていて教えてくれた。それが最初ですね。日本のHip HopはWarpかFineで日本語ラップ特集があって載っているCDを全部買って送って貰ったのがきっかけです。ECD、ライムスター、ソウスク、MUROさん、あと悪名とか続・悪名かな、「マグマ沸騰」とかZEEBRAとかの日本語のシリアスな感じが良くて。スチャダラパーとかも凄い好きだったけどそれ以外に「こんなシリアスな事を言っている人達が居るんだ」みたいな感じでアメリカで日本語ラップとかの存在を知って色々とオーバーラップしていった。

■1970年代初頭にN.YのBRONXからHip Hopが誕生して、僕達が過ごした90年代の黄金期を越えて2000年、2010年前辺りからバギーなStyleも変わって、今はもう今はもう2020年になったけどHip Hopのファッション、サウンド、時代の流れに合わせ様々なアーティストが出現する様になったけどその辺りはどの様に感じてる?

D:新しい物があまり耳に入ってこないんですよね(笑)っていうと嘘になっちゃうけど自然に良いなって思って耳に残るものが少なくなっちゃたのかなぁ、良い意味でも悪い意味でも、概念の基本が90年代に依存しすぎちゃってるのかも知れない、自然と店でもそういうのばっかりかけちゃうしね、新しいのもかけるけどAKLOとか来ると、お!珍しいねーとか言われるw

G:90年代の時点で良い物はほとんど吸収しちゃったから今は削除される情報の方が多いって事だよね。

D:Hip Hopの格好した人達が「Hip Hopだよね」と言うより昔はジャンルにクリアなラインがあって当時はハードコアに生きている人達も居たし、自分達の服装でジャンルをレペゼンしている所ももあったと思う。人種の壁が無くなったきたのでアメリカではEminemを筆頭に白人もラップするようになって、Mac Millerとかも出てきたり。それと一緒でHip Hopファッション自体も「イコールこれ」と言うものでは無くなった。
色んなものが円になったのは凄く良いと思う。それ以外の部分で自分達が生きてきた時代を考えるとちょっと、現代のファッションはそういった意味で背景を重んじたり包み隠して持たせる意味とかいう部分が薄く感じる。

Y:ファッションは時代を映す鏡だよね。うちは長男が16歳なんだけどSACAIやBALENCIAGAとか着てKohhとか聴いている子でさ。僕の頃とは同じ16歳でも情報も感覚も感性も環境も違うから。友達を連れて来ても見た目だけではどんなジャンルの音楽が好きなのか全くわからない(笑)昔はもっと分かりやすかったじゃない?
俺らが若い時は不良でもヤンキーでもサーファーでもヤクザでもギャルでもダンサーでも300メートル先に居ても分かったもんね。ファッションとカルチャーが密接にリンクしているみたいなものが今は無くなっちゃったよね。

G:「こいつHip Hopやってるな」とか「こいつスケーターだな」とかサーファーだな暴走族だな、みたいなのが見たらすぐ分かった時代。今はその辺がわかり難くなってる感じがするな。

D:渋谷のクラブHARLEMで小説読んでる子が居たのはびっくりしたけどなぁ(笑)
場違いだなとは思ったけど新鮮だった。場違いで来ちゃったけど俺は自分を通すみたいな感じの子が居て。君は帰った方が良いだろみたいな事がありましたよ。

■DAKは10代の頃N.Yに住んでた事もあるけど当時のN.YのStreetでは何が盛り上がってたの?音楽だったりFashonだったりスラングだったり、詳しく聞かせて。

D:正確に言うとN.Yに住み始めたのは98年ですよ。大学のインタビューとかで行き始めたのが95年辺りなので丁度Larry Clarkの「KIDS」の映画の撮影をしている時ですね。その時は俺もまだスケボーしてたり、スラングとかはみんなが聴いているHip Hopそのものだし。
何が今と違うかと考えると「緊張感」が全然違うのかも。人種の壁とか差別って今でも少なからず向こうではあるんだけど街を歩く時の緊張感。HARLEMとかに買いに行ったらまず中国人だと思われるし、「ワンタン食ってる奴がHip Hopの格好してるんじゃねぇ」みたいな表現されたり、そう言った修羅場をいくつも抜けながら歩いて欲しいものを探した。今みたいな全て開拓されてある程度安全みたいな状態では無かったですね。

ただその中でもグラフィティ仲間とかスケボー仲間とか、ストリートで同じ目線で知り合えれば同等に話してくる奴もいっぱいいるんだけど。Hip Hopをレペゼンした格好をするって今よりはやはりアジア人としては勇気がいる行為だったと思える部分がある。
例えばCOOGIなんて古着で着るものじゃないし、COOGIを買えるって事はそれなりのステータスだったから、それを着る時は何処から攻撃が来てもおかしくないって思わないといけない。実際それなりのもの着てたらジェラシーで睨んでくる黒人なんて山ほどいたし、それでカツアゲ目的で近寄ってきたりすればこっちも舐められないようにレペゼンするプロジェクトの仲間の名前だして通過するみたいな。PoloもSUICIDEジャケットはスキーの大回転って意味だけど「着たら自殺行為だぞ」って意味も入っていてSUICIDE JACKETって名前なんですよ。だから常にそう言った緊張感はあったから、常に360度警戒威嚇しながら歩くみたいな。

Y:日本でも東京だってそうだったんだから。90年代は何とか狩りとかAIR MAXやVANSONとかゴローズとかさ。昔は、それなりの奴じゃないと、それなりの格好して歩けなかったよ。とにかく物が高くて少なかったし盗んででも欲しかった奴がゴロゴロいた。
今は、時代も変わって物も溢れて簡単に欲しい物が手に入るし平和で安全なんだけど昔はそんな時代だからこそ生まれてくるパワーとかカルチャーみたいなものが確実にありましたね。

G:俺は地元が練馬だから渋谷とかに中学生の時に遊びに来る時は普通に1万円札とか5千円札とか靴下の中に畳んで入れてたりとかして(笑)
初めてセンター街歩いた時はいきなりチーマーに追いかけられてマックの向こうまでダッシュで逃げたもん。渋谷おっかねーって(笑)

Y:俺もそうだったよ。渋谷なんか1人で歩いてたら昼間から絡まれてたし上野とかもそうだったね。一人で買い物行くなんて日本でも本当に危なかった。今は本当に治安的には良い時代になったね。

D:でもそこを歩かないと自分達が見たいものに辿り着かないっていう。

■2人はN.Yならどの地域が1番自分にFitする?

D:住んでたのはBrooklynだからBrooklynかな、だけど時代と共に変わって行く部分も。久しぶりこの間帰った時はManhattanは見直した。流行とかメルティングポット的な意味では、やはりManhattanのエネルギーはニューヨークに来たなって思う。地下から蒸気出てたり街が生き物みたいな感じなんだよね。Brooklynとかも安全になってきているから。当時はFultonのショッピングモールとFordhamとHarlem125,145,Macy’sの辺りって感じで思い出したら俺はFultonが一番好き。LO-LIFEもBrooklynなので。たまたまかなとは思うけど。

Y:一番初めに叔母さんが住んでいたのがQueensのRego ParkとかCoronaとか、あの辺に滞在していたので治安は良かったN.Y初心者の僕でも住みやすかった。
あとはBrooklynのBrownsvilleとかEast New Yorkとかあの辺はバイクでよく走り回ってたんだけどエリア的に緊張感あって身の引き締まる思いで走ってたね。あのエリアに行くと地下鉄じゃなくて電車がストリートの上を通ってて高架下を走るとバイクの音が籠って気持ちが良いんだよね。一斉に皆でウィリーしたり、あのウィリーする時の独特のブォッ!って音が。
もちろんHarlemにも思い出あるよね。やっぱりいろんな顔があるからね。Times Squareも仲間達と毎年、走り抜けてましたよ。G.O.Kは何処が好きなの?

G:俺は最初Dance からこのカルチャーに入ったから当時はMariah Careyのバックダンサーに凄い憧れて彼らのほとんどがBrookyn出身でALIVE TVとか中1で見ちゃってたからな。
N.Y行く前とかは本当にNotorious B.I.Gが凄く好きで「Brooklyn」ってワードがラップの中でも出てくるしBlack MoonとかSmif-N-WessunとかBoot Campも好きだった。ドレッドだったし。そう言うのもあってBrooklynが最初に憧れた街かな。Big Punが死んだ時丁度N.Yに居てその晩はやけにBig PunばっかHot97で掛かっててPunish Meとか。
次の日Fat Beatsに行ったらPunが昨日亡くなったって言ってて、店の階段を降りて手合わせて空に向かって安らかに眠れってお祈りしたの覚えてる。少しの期間だけどWest Harlemの127stに住んでた事があってShyneのBonny&Shyneって曲のPVで使われてる所。Apolloの2ブロック裏なんだけどSaint Nicholasのプロジェクトが12棟くらいドンドンドンドンって並んでるんだけどもうHustlerだらけ(笑)BMXのグリップの中、建物の入り口の花瓶の中、向かいの通りで遊んでる小さい子供のパンツの中、至る所に隠してた。

HarlemはBroolynやQueensに比べると凄く都会的。Up Townは街全体がめちゃくちゃ盛り上がってるしファッションがとにかく早い。145stにSpanishで双子のHustlerが居るんだけどいつもガラスウィンドウに並んでるめちゃ高い服やKicksをいつもOnしてて、着こなしも超イケててMauiでオリーブのクロコダイルの革靴履いて濃いRobinsのデニムでケツにオリーブのストーンでオリーブとブラウンがミックスしたパッチワークのPelle Pelle着てオリーブのダイアのデカイピアス付けて、最後に驚いたのが中に着てるオリーブのポロシャツの胸にワニ(ラコステ)がいて、コイツ今日はとことんワニでハメてんだなって(笑)
向こうの奴等それくらいファッションを色で楽しんでる。Harlemがどんどん好きになっていった。凄く俺にとっては刺激的な街だし沢山の奇跡をもらった街。

■日本のみならず世界的にみても2人のPoloに関しての認知度や知識、勿論コレクトしてるアイテムもそうだけど、2人は何時どの様にして出会ったのかな?少しその話を聞かせてよ。

Y:今から10年位前に毎年N.Yをバイクで仲間達と走っていて、その中にPoloを着てバギーに乗っている連中が居て繋がって、それで日本でもダンサーの集まりじゃ無くて色んなバックボーンを持つVintage Poloを愛する人達に声を掛けて集まりたいなと思って渋谷にあったセレクトショップのクワンザの友達に声かけたら当時、Cold Cutsに居たDAKを紹介して貰って繋がったのが一番初めですね。その頃、僕はLO-LIFEの存在もTHE SOURCE Magazineの特集で少し知ってる位の認識でDAKがRACK-LOにDAK-LOと言う名前を貰った話とか、当時はインスタグラムとか無いから会員制の閉鎖された凄いWebサイトがあって本当に今まで見た事も無いようなダークウェブみたいなのがあって(笑)それを見せて貰ったりとか、こんな着方があるのかとかマナーがあるんだとか。当時そこまで理解は出来ていなかったんだけど「こんな人が日本に居て、そんなバックボーンがある人が居るんだな」ってDAKからこれから日本で活動していく事とか色々写真とかも見せて貰って具体的にLO-LIFEと言うN.Yの集団の事を知った感じかな。

D:RACK-LOとの約束で俺がLO SHOOT JAPANをやるって話をしていた頃、俺一人の力では人が集まらないと思ったしYutangがPoloとか着ているのを確かクワンザってセレクトショップのブログで見て、DICEY THE KIDに繋げてもらった。東京で服屋とか音楽関係の拠点を構えている人達に声を掛けて「Poloを着て出てくれませんか?」みたいな事を言ったんだけど、その時にYutangと俺がメインで声を掛けまくったので俺とYutangがくっついたと。アパートメントのタカ君とか、とにかく好きそうな人達に闇雲に話を持って行って。バイク乗りでポロ好きの連中に声かけてくれて広げてくれたのもYutangでした。
LO SHOOT JAPANをやろうって言った時に日本のオリジナルの文化じゃないから深く理解している人は居ないと思ったし、俺も名前を貰ってから2,3年だったので、LO-LIFEの哲学を持って来ている上でやろうとなった時に「そんなに集まらないだろうな」と思ったのでYutangに声を掛けることになったのが最初です。

Y:それが10年位前ですね。

G:その頃もYutangは今みたいにレアなコレクションを持ってたのかな?

Y:コレクションは結構、持っていたけど今ほどじゃないかな。当時、会員制だっPolo Fashion partyやShow ya LoにDAKの紹介で参加してピースの勉強したり、それこそ何千枚も写真を見たり。それから自分でもN.Yに行って友達も増えヤフオクやeBay等トレードも出来るし時代の便利さも重なり更に拍車がかかった感じかな。DAKに教えて貰えなかったら分からなかったLO-LIFE的マナーもあったし合わせ方とか。何でも良いと言う訳でもないし目立てば良いと言う訳でもない。

D:mixiでNIPPOLOっていうスレッドを作って管理人と副管理人をYutangにやってもらったりして。

Y:ファッションだけではない思想だとかRalphlaurenにはあるでしょ。みなさんご存知の通りに。一言で言い表すのは難しいけど。

G:でもお互いNIPPOLOをやるくらい惹かれあってギュッと縮まった訳なんだよね。

Y:お互いその時から年も取ったし色々な事を重ねてこの様な形で対談を出来ると言う事は偶然じゃないと思うから。

■当時Ralphlaurenの専門店以外で好きだったり、思い入れのある店とかってある?日本でもアメリカでも。

Y:中学の頃は地元、武蔵小杉の黒川スポーツでAIRMAX91やJORDAN買ってましたね。スニーカーは大体ココか上野。あと代官山のネバーランドは良くチェックしに行ってました。Poloは1番ココで買ってた。90年代後半の話。レコードはノースタイルレコードに通ってたな。店長にHOT97のラジオのテープとかBETのVideo music box録画したビデオとか貸してもらったり、まだYouTubeない時代だから本当に貴重だったよ。

G:僕は92年のリアルタイムの時に下北沢のスパークスビードや祐天寺にあった時のN.Y AVE Cって店に良く行ってた。でも1番強烈でお気に入りだったのが代官山でDetenteの横の細い階段を上がって道を渡るとアットファーストってお店があって。92年物のPolo,GUESS,DKNY,Calvin Klein,NAUTICA,EMPORIO ARMANI からExchange、いわゆるアメカジと言われる物がそこには沢山あって、透明のビニールで1着1着キチンと梱包されてて凄く小さなお店なんだけど娘さんとお母さんの2人でやってて。
92年93年のPoloはほとんど置いてあったんじゃないかな。とにかく強烈だった。あの匂いは今でも凄く覚えてて懐かしい。

D:小6でトマホークチョップ行った時は衝撃でした。日本のセレクトショップは原宿スタートで代官山まで歩きで毎週片っ端から行っていました、日本人の目線のアメリカ雑貨等のセレクトが凄く新鮮だったから。アメリカに住み始めてからでも日本に帰って来る方がアメリカよりも物やジャンルによっては集まっていると言うイメージがありました。

クリップ13、SAVAGE!、STILL DIGGIN’、GROWAROUND、グロープインザダーク、クリブ、ネバーランド、ハイヤーグランド、上げたらきりが無いですね、とにかくヒップホップとかジャンル関係なしに全部入ってた。代官山のDetenteとか好きでした。

G:カリフォルニアストリートもあの頃と変わらない場所にまだあるからね。あそこ歩くとフラッシュバックする。凄い事だよ。

D:まだありますね。昔はBoonとかの入荷情報見てから店に週末行ってもまだ商品あったりしましたよね。インスタとかじゃないからそんなに急がなくても行けばあったりした。お店のオープンの時間に原宿に到着出来る様に地元を出て原宿の全部の店をチェックするみたいな。

プロペラ通りもスニーカー屋さんは2件くらいしか無かった気が、で明治通り行ってスラップショット見てファイヤー通り見て、ファイヤー通りはRalph Laurenをセレクトしてる店が2、3件並んでたりしたかな、確かレッドウッドとかだったかな。

G:渋谷はファイヤー通りにDJ’s CHOICEってお店があって。

D:そこ凄い有名だよね?MUROさんが働いていた所かな?

G:そこはMAKI君とかが働いていた所で

Y:DJ’s CHOICEって2店舗あったんじゃない?

D:2Fの所?

G:そう2Fの所。MAKI&TAIKIがやっていて。Yo Mtv Rapsとかを録画したVHSとか売ってて。そこの向かいの坂を上がった所で一番最初にSTILL DIGGIN’がオープンした。

NASの1stのOne LoveのTeeシャツだったかな?黒の。当時友達がGetしてて羨ましかった。今あったら凄い値が付きそう。

D:クリップ13に売ってるラジカセとかも好きだったなぁ。ソニスポのラジカセそこで買った。とにかくそう言ったのを全部行くじゃん。宇田川町が聖地だった頃。今はもう無いけどGROWAROUNDが無くなっちゃたらもう何にも無い。昔は本当にとにかく細かく周ったよね。

D:SAVAGE!行ってマンハッタン行ってSTILL DIGGIN’行って。

Y:GROWAROUNDがまだCISCOの上にあった時だよねNITROのメンバーが働いていた。

何を手に入れるのでもアナログで歩いた時代だから思い入れがあるよね。昨日の事の様に覚えてるよね。

D:あとはアメリカでこの間Ralphlaurenのインタビューを受けたんですけど、その中でも紹介した店があるんですけどTCKって言うグラフィティーのクルーが沢山いた所でBobbitoがやっていたお店。

G:ラジオで聴いた事がある。Stretch & Bobbitoがやってるお店があるって。

D:正確にはBobbitoがナイキアカウントを取得して開けたFOOTWORKって名前のお店でグラフィティーのグッズとかマーカーとかブラックブックとか雑誌とか、スクールオブハードノックスも売っていた。どちらかと言うと日本人がする様なコアなセレクトをしてて。Bobbitoが好きなクラシックなスニーカーがポツンと置いてあるとか。

そう言う店があったんですよ。そこに当時トミーレベルとかスクラムって奴が奴らがたむろしてて98年にそいつらに合ったんです。ゆくゆくTHE ROHE PROJECTやった人達ですね。そこがキーな店かなと。

■結構Street talkで良く出る話なんだけど、Polo好きの人達はPoloが好きなだけで余り音楽は好きではない、みたい話も聞くんだけど、2人はUSで言うとどの辺りのRapperが好きなのかな?

D:俺はダントツに好きなMCはGURUで。あとBIG L。GURUは言っている事が時代が変わっても同じ教訓として聴こえる。BIG Lは普通にスタイリッシュだし。フリースタイル超上手いし。スケコマシなリリックが好き。

G:最近のはどう?悪くないよねみたいな感じのアーティストは居るの?

D:DRAKEが最初出て来た時は受け入れられなかったけど今考えてみれば普通だと思えて来てるし。歌詞の内容が薄くなってた時代ってあるじゃないですか?「This Is Why I’m hot」とかそんな事しか言わないみたいな。言わずともスタイルで示せよみたいな時代が90年代だと思うから、薄っぺらい歌詞は表に出てこなかったですよね。最近は俺周りで言うとTimeless Truthとかライミングするとかストーリーを伝えるって事とか美学でやり続けている人達と言ったらTimeless TruthとかMAYHEM,Roc Murcianoとか。最近新しい人の中で好きなのは大坂なおみの彼氏、YBN CORDAE。

Y:僕はまず音楽ありきで育って来たのでファッションと音楽は密接な関係にあるんだよね。PV見たりレコードやCDのジャケットからファッションを多大に学んできた世代なんで。
今の若い子で全身Polo!みたいな子が例えばThirstin howl the 3rdの曲を知らなかったりPubaやzhiggeのメンバーの名前を知らなかったりって僕の中ではPoloを語る上であり得ないんだけど全然いると思うのね。何故なら今はコレが欲しいと思ったらダイレクトにヤフオクとかメルカリでモノだけ買える訳じゃないですか。最速最短で誰とも触れ合わずデジタルで直線に引っ張って来れるからね。だから音楽に疎いし音楽に興味が無い人も沢山居るだろうね。

■最近の日本のラップに関してはどう言うスタンス?

D:ついていけてないです。DOGMA君とかAKLOは床屋のお客様なんで世間話はしょっちゅうしてるんですが。

Y:例えば即興が凄く上手いラッパーが居るけど、それって上手いとは思うけど格好良いとは思わない。僕等は格好良いなと思う所から入っているから。もちろん凄いとは思うけど。

G:あ、その感覚は凄い解る!!

■フリースタイルダンジョン以降はそれがHip Hopみたいな感じで一般層に浸透して、ファッションの部分が欠けちゃってる所があるのは確かかな。フリースタイル好きな人ってファッションがちょっと疎かになっていたり、それは本場のN.Yもそうで、感じるツボが違うって事なのかな、多分。

Y:全然格好とかも格好良くないじゃないですか。

D:アレは別物に感じてしまう部分ありますね、、、ディスるイメージが先に来ちゃって。

Y:でもファッションで表現しないで自分の内側の「ハートが一番大事だろ」って言う気持ちも凄い良く解るからラッパーってそういうもんじゃないだろうって。見てくれ的な物ではなくもっと精神的なものだって言うのは解るけど。

■ファッションも内から出る物だったり、スタイリッシュに振舞ってこそ真のラッパーと言うか俺らの世代で言えばBiggie,NAS.JAY-Zだったりファッションもマインドの一つだよね? そう言った事が日本のラッパーには少し足りないのかなって。

Y:そうですね。

G:最近の若いアーティストで言えばMUD,¥ellow Bucks,Eric.B.jr,とかフレッシュだね。凄くリリシストだと思うのはZEUSかな。紅桜も凄くオリジナルだと思う。T2K&GREEDYも今年はもっと注目されるんじゃないかな。横浜でINFAMOUS Mobb DeepのBIG TWINSが来日した時にImuha Blackのライブを見て良いアーティストだなと思った。センスで格好良いなって思うのはIOかな。彼は見せ方も露出の仕方も格好良いと思う。彼がシーンに出て来てPVとかSNSやその他の露出的な部分で少なからず皆が影響されたなってのが分かる。彼のラップの言葉選びが凄く好きで、例えば「洒落たフレーズをグロックに詰めて」とか。
皆似たり寄ったりでHip Hop的要素が何も入ってないで作文みたいなのをただRapしてる人とかも居るけど、彼はキチンと自分のジャンルを確立出来たのかなって思う。短期間でね。凄い事だよ。証拠としてDEF JAMに籍を置いてるし歴史に残る様な作品には必ず彼がクレジットされてるし。

Y:IOは格好良いよね。俺はB.D.が好きかな。ブレない所が好きですね。

G:B.D.は東京の本当のオリジナルなラッパーな気がするな。彼は何度もN.Yにも行って本場の空気も知ってて、そこで尚且つあまり英語を使わず日本語に重点を置いてライミングする。
DJの時はPCは使わず全てアナログでPLAYするしね。こだわりと言うか忘れちゃいけない事をポケットに沢山詰め込んで渋谷を守ってる気がする。もう渋谷には彼しか居ないよ。

D:今の子達じゃないって言う話であればやはりZEEBRAの当時のライミングに掛けるスキル、想いとか凄いメッセージ性とかもあると思うし。DEVLARGEとかNIPPSとか凄いと思いました。日本語と英語のバイリンガルにしか理解できないあのフロー、両方の言葉を分かっているし。あとはHILL THE IQとT.A.K THE RHYMEHEADが大好きだったな。

■ここ何年か最近Hip Hop90’sブームと言われている風潮があるけど今の若い子達が90sのHip Hopのファッションをするのはどう思う?

Y:良いんじゃないかな。

D:音楽もファッションも傾向は繰り返すって言うのはあると思うし、再現してみたいって気持ちは凄く良く分かる。ただダボダボしてりゃ良いってワケじゃないってと思う事も、、、時代背景的に辻褄の合わない合わせをやっちゃったりしたらやっぱりバレる。

Y:わりとLO-LIFEと東海岸90年代ダボダボファッションが混じっちゃってる子が多いよね。90年代が一緒くたになってる感じ。おのずとスタイリッシュが無くなるパターンだね。

G:Hip HopってGhettoに見られたくない、貧しい奴と思われたくない、だからシャツを一番上まで閉めたりとか新品のKicksを履いたりだとか、値段の決して安い物ではないPoloとかを着るわけじゃん?それを敢えて今、何故そんなダボダボな服を着てワザと女の子にモテなさそうなお金持ってなさそうなファッションをするのかは少し疑問かな。
自分の中で今日のテーマ、とかって言う風に少しバギーなデニムをチョイスして、じゃ「トップスも少しFatに」みたいなのなら全然OK。むしろ楽しそう。意味も無くめちゃくちゃバギーな「メガバギーはNGだな。俺はね」まぁ個人の自由だけど。

Y:本人は格好良いと思ってるんでしょ。

D:ファッションって最新の物を纏うって事がやはり最前提だと思っているから。理屈は無いのかもしれないけど、最終的には新しい事をやってこそファッションだと思っています。ミックス次第では見た事ない合わせ方してこそ相手に印象が強く残るからそこにチャレンジし続けたい。昔のアルバムジャケット見たり、PV見たりして教科書的にまんま雰囲気パクって着るのはファッションでもないしスタイルでもない。そういう定義する大人がいたのならそれも良くない、その人にしか出来ない着方するからスタイルなんだと思います。
とにかく今の90年代ブームはまんまパクリし過ぎてる感はある。進化しないと。

G:だったらもっと追求して音楽もスタイルもラップも追求して90’sを再現しているんだったら俺はOKだと思うけど。軽いファッション感覚で音楽をやっているし音楽の捉え方がチョッと違うんだよね。

D:あと一つ付け足すとしたら例えば、92年当時の洋服に96年に出た靴、つまり当時であれば未来は存在しない訳で物理的に有り得ないからやらない。一生懸命90年代の格好真似てる子達の中で、色だけ合ってれば91年のジャケット着て再現しようとしてる足元が2000年代入ってから出たカラーで合わせたりしてたら「そこまでやったのに靴が!!」とか思っちゃう。まあさっきも言った通りファッションは基本自由なので人の勝手ですが。

■DAK-LOはThirstin Howl The 3rdとRapでFeatしてるけであの曲の経緯は何処から始まったの?

D:『Bury Me With The Lo On』って本が発売したのを記念にThirstinが日本に来たんです。それで新しいVIDEOを俺の店で撮ったんですけど、その時日本語でソニー千葉みたいなShout-outを入れてくれって話になり。ただそのステレオタイプ的なシャウトアウトだけで終われなかった自分があると言うか。
カラテキッド(ベストキッド)って映画がアメリカに植え付けた『ハイ!センセイ!』みたいなバカっぽい日本語のイメージだったから。洋画の中で日本人ってどうしても「ハイッ」「ハイッハイッ」みたいな。馬鹿にされてるシーンって洋画観てるとあるでしょ? そう言う感じでThirstin Howl The 3rd&YOUNG LOとかって言ってくれって話になって。でも空いてる所があるから「言いたいメッセージがあったら言え」って言われた。じゃあラップにしようと思って。日本で今のところPoloをテーマにした曲って何曲か聴いた事があるけど全然LO-LIFEカルチャーをレペゼンしていないので一曲だけでもそう言う曲が無いとダメだなって思った。多分俺以外には居ないだろうなと思って。
Thirstinには『メッセージていうかラップしている様に聴こえるけどまぁ良いか』って言われた(笑)

Y:そう言うノリか!!(笑)

G:なるほどね(笑)

D:だったらVIDEOも作っれって言ってVIDEO撮って送って。

Y:俺もチョッと出させてもらってるからね。

D:だから先ほどもPolo好きはHip Hopミュージック関係ないって言われてるみたいな下りがあったけど、そんな事はなくて常に隣接してます。

ThirstinHowlThe3rd/YouTube

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