FRIDAY襲撃事件、監督降板… 天才・北野武が誕生した瞬間

1980年代から90年代にかけて、低迷する日本映画界で強烈なリーダーシップと個性で、数々のヒット作を世に送り出した映画プロデューサー・奥山和由。
松竹の重役を父に持ちながら、日本映画業界を内側から破壊して、より良い映画製作の環境を作るための革命を志した業界の異端児が、『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』(文藝春秋)で映画を志すことになったキッカケから、突然の松竹追放劇までを赤裸々に語る。映画史・時代劇研究家 春日太一が聞き手だからこそ語られた内容ばかりだ。

今や“世界のキタノ”として知られる映画監督・北野武を誕生させたのも奥山である。彼の監督デビュー作となった『その男、凶暴につき』(1989年)は、当初の企画ではバイオレンス映画の巨匠・深作欣二が監督し、タレント・ビートたけしが主演としてキャスティングされていた。しかし、たけしが“FRIDAY襲撃事件”を起こしたり、スケジュールがかみ合わなかったりと、なかなか企画が進まない。そこで業を煮やした深作監督が降板を口にすると、奥山は両者の折り合いをつけるために、駆け引きとしてたけしに「俺が監督やるか、たけしさんが監督やるか、どっちしかないですよ」と言い寄った。すると、奥山も予想していなかったが「俺が監督をやりますよ」とたけしが答えたという。これが“世界のキタノ”が誕生した瞬間である。

当時は映画製作に関して全くの素人であったたけしだが、実際に撮影が始まるとその才能を遺憾なく発揮したと奥山は振り返る。すでにヒットメーカーとして名をとどろかせていた奥山がうなるほどにその手腕は見事で、手放しに「本当の天才だ」と認めたほど。「勉強になるというものじゃなくて、俺たちには出来ないものを持ってくるわけです。彼じゃなきゃできない空間というのが出来上がっていくわけです」と、天才監督・北野武の才能を称賛している。

第1作目はタレント・ビートたけしの初監督作品という話題性も手伝ってヒット作となるが、2作目の『3-4×10月』(1990年)は評価が大きく分かれる作品となり、松竹社内からは「映画をバカにしてるのか!」と非難が飛ぶほど興行としては大きく失敗してしまった。それでも、監督・北野武の才能に心酔していた奥山は3作目『ソナチネ』(1993年)の製作に入る。ところがこの作品でも、その自由過ぎる才能が発揮されたと奥山は振り返る。もともとは『ダイ・ハード』のような娯楽映画を作る約束だったが、実際に出来上がったのは芸術性の高いアート映画になっていたのだ。しかし、それを観た奥山は傑作の誕生を確信したといい、興行収入すらどうでもよくなるほど、その才能に惚れ込んでしまったと述懐している。

実はたけしが降板しかかった際に、ダウンタウン・松本人志にも声をかけていた(!)など、当時の映画業界・芸能界の驚愕のウラ話も満載の一冊なので、ぜひ手に取っていただきたい。

BANDAI NAMCO Arts Channel/YouTube

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