世界で最も売れるバッシュ『エア ジョーダン』 どのように生まれ、世の中に広まっていったのか?

1984年にナイキが生み出したバスケットシューズ“Air Jordan”。誕生から四半世紀が経過しても、全世界で絶大な人気を誇るこのシリーズが消費者の心を掴んだのは、デザインやマイケル・ジョーダンのカリスマ性に加えてCMの力もあるだろう。

“Air Jordan”はどのようにして生まれ、どのように世の中に広まっていったのだろうか?

ジョーダンは最初はナイキとの契約に乗り気ではなかった。当時新人だったジョーダンがスポンサー契約を求めて最初に話を聞きに行ったのは、多数の人気選手と契約していたコンバース。しかし、ラリー・バードやマジック・ジョンソンといったスター選手たちを差し置いて、ジョーダンのことだけ“特別扱いできない”という理由で契約は見送られた。次に向かったのは、ジョーダンが愛用していたアディダスだ。しかし、アディダスも“経営難”で十分な報酬を用意できないということで断られてしまった。

そうして向かったのがナイキだった。「とりあえず話を聞くだけ」というジョーダンのテンションとは裏腹に、ナイキはジョーダンの可能性を高く評価していた。当時、トップ選手ですら10万ドル程度の契約金だったが、なんとルーキーのジョーダンに25万ドルを用意。一緒に話を聞きに行った父が「これを断るのは馬鹿だぞ」と説得し、ナイキとの契約を決断する。

さらに、代理人のデビッド・フォークは「ジョーダンモデルのシューズを作ってほしい」と要求。ナイキは当時、陸上シューズに使用していた“エアソール”と、高く飛び上がるジョーダンのイメージにかけて“Air Jordan 1”を作り出した。

ジョーダンは開幕から“1”を着用したが、物議を醸すこととなる。当時、白のシューズが主流だったなかで“1”が赤×黒のド派手なカラーだったからだ。NBAは目立ちすぎるシューズをリーグの規定違反だと判断し、着用するたびに罰金を課して事実上禁止にしようとした。しかし、ナイキは逆にチャンスを見出し、罰金を肩代わりしてジョーダンに“1”を履かせ続けた。そして伝説のCMを作ったのだ。

「9月15日、ナイキは革新的なシューズを生み出した。10月18日、NBAはこのシューズを禁止にした。だが幸運なことに、NBAはあなたたちがこのシューズを履くことは止められない」

NBAから禁止されていることを逆手に取り、特別なシューズであることを強調した“1”のCMは功を奏し、売上目標4年間で300万ドルのところを、なんと1年で1億2,600万ドル(約40倍)も売り上げてしまった。また、シリーズ3作目からは映画監督のスパイク・リーを器用。“Air Jordan”シリーズの売上はうなぎのぼりだった。

さらにその後は、ライバルであるチャールズ・バークレーや、後輩のレイ・アレン、カーメロ・アンソニー、ドウェイン・ウェイド、ラッセル・ウェストブルックなど、数々の豪華スターが出演。ナイキの巧みな広告戦略とジョーダンのカリスマ性で、世界で最も売れるバスケットボールシューズになった。

“Air Jordan 1”の伝説のCMを含んだ、20年分の豪華CM集をとくとご覧あれ。

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