マイケル・ジョーダンに伝説の「THE SHOT」を決められた男

マイケル・ジョーダン伝説を語る際に必ず登場するのが「ザ・ショット」である。1989年のNBAプレーオフのファーストラウンド最終戦(第5戦)、シカゴ・ブルズは敵地・クリーブランドでこの試合を迎えた。一進一退の攻防が続いたが、試合時間が残り3秒というところでジョーダンがミドルシュートを決め、101-100で勝利し第2ラウンドへの進出を決めた。

シュートを決めたジョーダンは大きくジャンプし、拳をグルグル回して雄叫びをあげ、インバウンスパスをしたブラッド・セラーズに抱かれている。ドグ・コリンス監督は両腕を突き上げて大喜びで走り出す。

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今回書きたいのはジョーダンではない。ジョーダンをガードする役割を担った選手だ。名前をクレッグ・イーロー(Craig Ehlo)という。ジョーダンをガードしきれずシュートが決まった時、画面の左の方で倒れ込むあの男だ。このシーンで最も有名な実況がNBCの以下のものだ。

Here’s Michael at the foul line, a shot on Ehlo. Good! The Bulls win! The Bulls win! They win it! They upset the Cleveland Cavaliers! Michael Jordan hits it at the foul line!

(マイケルがファールラインでイーロー越しにシュート。入った! ブルズが勝った! ブルズが勝った! 彼らは勝った! ブルズはクリーブランド・キャヴァリアーズ相手に番狂わせ! マイケル・ジョーダンがファウルラインから決めた!)

結局イーローは「ジョーダンに“The Shot”を決められた男」ということで有名になった。王貞治に世界記録となる765号本塁打を打たれた鈴木康二朗が毎度映像で登場し、鈴木はこのことだけで時々名前が出るようになったのに似たようなものである(たとえが古すぎるか)。だが、鈴木は王に本塁打を打たれた年は14勝9敗をあげており、ヤクルトのエース級選手だった。通算81勝、52セーブと立派な成績をあげているのである。

イーローにしても、派手さはないものの、ディフェンス力はあるしロングシュートの能力も非常に高い。ジョーダンに決められたあの試合では、4thクオーターだけで15点をあげ、合計24点の大活躍。3点シュートを4発決めている。しかも、99-98で負けていた最後の時間帯でゴール下に切り込み100-99の逆転を果たした立役者なのだ。この時点で残り3秒。いくらなんでもこれはクリーブランドの勝ちかな、といった空気があった。

この「ザ・ショット」を振り返る「SBnation」というスポーツブログネットワークのYouTube動画を見ると、当時のブルズとキャヴスの置かれた状況がよく分かる。同動画で分析された話を箇条書きにしてみよう。

・1986年シーズンまで弱小だったキャヴスは同年のドラフトでブラッド・ドアティ、ロン・ハーパー、マーク・プライスを獲得し、一気に強くなった。
・1987年シーズンにはジョン・ウィリアムスをドラフトで獲得し、さらにフロントコートが充実した。
・1988年はフェニックス・サンズからラリー・ナンスを獲得してフロントコートがさらに強くなった。ケビン・ジョンソンをこの時放出しちゃったのはちょっと残念だったけど、まぁ、しょうがないね。
・こんな状況だからこそ、マジック・ジョンソンは「クリーブランドは90年代を代表するチームになる」とまで評した。実際、この年のプレーオフはクリーブランドが第3シードでシカゴは第6シード。下馬評はクリーブランドの方が高かった。
・一方、ブルズはジョーダンがすべてやるようなチーム。
・NBA最高のリバウンダーでジョーダンとも仲の良いチャールス・オークリーを放出して年を取ったビル・カートライトを獲得するという謎の行動をしていた。

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こうした状況で同動画は最終番に入っていくのだが、イーローの八面六臂の活躍を見せて「もしもここでジョーダンを止めていたらクリーブランドの歴史におけるハイライトとなったはずだ」的なことを言う。さらには、イーローこそがこの試合のスターになったであろうと分析する。

確かにそうである。「アメリカの鈴木康二朗」のようになってしまったイーローだが、この試合での活躍が認められ、翌シーズンの先発シューティングガードとしてイケると判断したのか、クリーブランドはロン・ハーパーの放出を決定。

控えだった1989年は82試合に出場し先発回数は4回、平均プレー時間は22.8分、7.4点、3.6リバウンド、3.2アシスト、1.3スチールだったが、翌年は81試合中64試合に先発出場し、平均35.7分、13.6点、5.4リバウンド、4.6アシスト、1.6スチールをあげた。ブルズとの試合でも必死にジョーダンをディフェンスする姿が印象に残っている。

この時のクリーブランドには、3点シュートが得意な白人のガードとしてマーク・プライスとスティーブ・カーがいた。イーローは6-7の長身のため、スモールフォワードも務められたが、この3人が同じコートにいる時、どこから3点シュートが来るか分からず恐怖のラインナップだった。

結局クリーブランドは「90年代を代表するチーム」にはなれなかったが、その一因が「ザ・ショット」にあったかもしれない。ハーパーを出してまでクリッパーズから獲得したDanny Ferryがパッとしない活躍しか見せず、ラリー・ナンスの高齢化も進行していった。ブラッド・ドアティは堅実ではあるものの、パトリック・ユーイング、ハキーム・オラジュワン、デビッド・ロビンソンといったスターセンターと比べると地味過ぎた。しかも1993-94シーズンで引退してしまい、キャリアはわずか8年だった。

ちなみにESPNの公式チャンネルが2019年5月7日に公開した動画には57歳になったイーローが登場している。タイトルはズバリ「Craig Ehlo talks Michael Jordan hitting ‘The Shot’」で、「クレッグ・イーローがマイケル・ジョーダンが決めた“The Shot”を語る」だ。なんでこのタイミングかといえば、「”The Shot”から今日で30周年」ということであり、Ehloは結局このイメージでしかお声がかからないのである。どこの国も同じようなことをやるものだ。この動画ではこう語っている。

「この件について聞かれるのはグレートな気分だよ。事実、苦みが口に残るけど、マイケル・ジョーダンのレガシーに含まれたことには文句はないし、彼とこうして一緒に語られることは喜ばしい」

状況についてはこう語る。

「ジョーダンをナンスとともにダブルチームしようとしていたものの、ナンスがジョーダンについていけず、自分一人でガードせざるを得なくなった。ゲームプラン通りにいかなかった。体のバランスが崩れてしまい、オレはもう腕をあげるぐらいしかできなかった」

そしてこう続ける。

「ああ、オレらはブルズの当て馬だったよ。みんな、オレらを『90年代を代表するチーム』と言っていた。でもそうならなかった」

こうスッキリと話すが、この態度については司会からは「あなたの態度は素晴らしい」と称賛された。そして、最後には「この件について話されない日は来るのか?」と聞かれると苦笑いを浮かべながら「今でも街を歩いているとこのことについて声を掛けられるけど、これについて語るのは楽しいよ」と語るのだ。本当に紳士的である。

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スポーツにおいては「if」がつきものだったが、もしもあの試合でイーローがジョーダンを止めていたら「ジョーダンを屈服させた男」として名前が通っていたかもしれない。結局、ジョーダンを止めた男といえば、デトロイト・ピストンズのトーマス、デューマース、ロッドマン、ランビアの4人ということになってしまっている。この系譜にイーローも入っていたかもしれないと考えるとまさに哀愁でいとなのである。

文・中川淳一郎

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