1987年に自分は洋楽、中でもロックに目覚めたのですが、その年にU2のアルバム『ヨシュア・トゥリー』は社会現象と言える程の大旋風を巻き起こしていました。今になって思うと誰も彼もが社会奉仕を最優先のテーマにしていた奇妙な時代でした。U2にハマった自分はロックイコール誠実であるかどうかという考えを刷り込まれてしまい、それは本当に不幸な考えで、何故なら本来ロックの持ち味は非道徳さにあったからです。

90年代に入りU2は自分達の築き上げて来た真摯なイメージを破壊して再構築する作業に入るのですが、それすらも自分は「あえてU2は破壊して再構築する作業に入った」と深刻に受け止めていました。だから後にボノの色んなチャラチャラした噂話を聞くたび裏切られた気分になっていました。それから破壊と再構築の90年代も後半に入りいよいよU2史上最低の評価を叩き出したアルバム『POP』がリリースされます。
個人的な話になりますが、自分はずっとアングラ芸人として不気味な世界観を貫いて来たのですが2013年ぐらいから金にならない事にウンザリして自分なりに破壊と再構築を繰り返し、2016年にラッセンネタでなんとか世に出ます。で、ラッセンネタ、それまで自分を応援して来たファンからは最低の評価なんです。

自分なんか本当生意気なんですけど『POP』とラッセンネタを同等に考えてみましょう。どちらも最低の評価なんですけど、どちらも今まで自分で自分を縛ってた鎖を無理矢理引きちぎるんです。
U2は実験の為なんですが、自分は売れる為です。すると今まで比較的悪く言いにくい存在だった両者は堰を切ったように周りにボロクソ言われ出します。U2ファンからしたら90年代に入って大きく路線変更した『アクトン・ベイビー』は驚きつつもなんとか受け止めたけど『POP』まで行かれるといい加減にしてくれよと思ったのでしょう。
90年代のU2はベルリン時代のデヴィッド・ボウイの実験期間を意識していたと言われてますが、元々が素朴なバンドなんでファンからしたら「どうしちゃったの急に」という感じがラッセンを歌い出した自分と重なります。
しかし実験を済ませて自由になったU2は、その後原点回帰してより大きなバンドとなりますが(裏を返せばその過程が生真面目で、ぶっちゃけ戦略的ですが)自分は今まで応援してくれてた人の願いを全部裏切ったまま今後も生きていく気がして恥ずかしいです。
文・永野

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