マッドなマックスなんてもう無理だ (永野)

2015年に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た時の衝撃は忘れられません。「こんな映画を待っていた」と思いました。
それからテレビで観る機会もあったのですが最初の衝撃が薄まりそうでずっと避けてきました。先日結局テレビで観たのですが冒頭から「あれ?こんな感じだったっけ?」と首を傾げてしまいました。話が進むにつれて面白くはなっていくのですが、結局最後まで映画館で受けた衝撃は得られませんでした。

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マッドマックスと言えば自分には大事なシリーズで、特に1と2は幼少期にテレビで録画したやつをビデオで何回も何回も観ていました。3はアイデアは素晴らしいのですが個人的には1と2の面白さには及ばず、そんな自分が悔しくて、だから『怒りのデスロード』を映画館で観てる時は積極的に楽しもうという気持ちで観ていたんだと思います。
今度のマッドマックスは好きになりたいというか。そして今になってしみじみ思うのはやっぱりメル・ギブソンにマックスをやって欲しかったという事です。メル・ギブソン版のマックスはトム・ハーディ版のマックスと違って非道徳的でした(3は別)。プライベートのメル・ギブソンの危なさは有名ですが、あの狂気がマックスには必要なんです。カメラの前で「せーの」では出せない雰囲気があるんです。メル・ギブソン版マックスはシャーリーズ・セロン演じるフュリオサの顔面をアドリブで殴りかねない怖さがあります。マックスはヒーローですが、それこそ「マッド」なマックスだという事が大事なんです。

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ずっと言葉を濁してましたが、つまりマッドマックスに限ってはコンプライアンスが最重要視されてる現代には到底無理だという事です。コンプライアンスの網をくぐったマッドマックスではそそらないんです。人を妬むな、偏見を持つな、努力が大事、承認欲求を持つのは恥、自分を正当化する為に他人の事を否定するものではない、ワンフォーオールオールフォーワン…全てマッドマックスの世界には邪魔になってくる思考です。
でもそんな野蛮な映画、今の世の中誰も求めていません。今後コンプライアンス無視のマッドマックスなんて作った日には口が立つ人間に論破されて世の中はその人間を正論だと賛美してこっちは悔し紛れに「口が立ちますね、こっちは口が立たないどころか愚息も勃ちませんよ」とか言ったらセクハラ老害オワコン氏ねだって。

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文・永野

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