季節が君だけを変える君だけをな 2(永野)

日本人なのに全部英語で作詞して歌うバンドがいます。イントネーションもまるで西洋人のようで耳にするたび「君は日本人で僕も日本人で何故英語を使う?」と思います。
「世界を意識してる」と言われたら確かにそうかもしれません。そんな中自分には「これは良し」というバンドがあります。BOØWYです。

『季節が君だけを変える』という歌の歌詞で「いつも テンダネス だけど ロンリネス ガラス細工のフィーリング」という箇所がありまして、「それこそ君は日本人で僕も日本人で何故随所随所に英語を使う?せっかくの思いが伝わりにくくなるのに」という意見があるでしょうが、それは違います。

昔「テンダネス」の意味を調べた事がありまして、「優しさ」と出てきました。他の英語はなんとなく分かった気でいるので全部日本語にすると「いつも 優しい だけど 寂しい ガラス細工の感覚」となります。
でも不思議なもので自分はテンダネスの意味を知らなかったとしても「いつも テンダネス だけど ロンリネス ガラス細工のフィーリング」の方が胸が締め付けられます。それでも「いや、日本人なんだから全部日本語でいこうよ。もし世界を目指してるのなら尚更英語でしょう。それか、全部日本語のほうがウケがいいんじゃないの?」という意見が出てきそうです。
自分も今まではそうだと思っていました。

しかしその考えが今になって覆されます。たった2人の調査結果で申し訳ないのですが知り合いのアメリカ人たち曰く「全部英語も全部日本語も良いけど、この、日本語と英語が不自然にごちゃ混ぜの歌詞は奇怪でクール」らしいです。
もちろんそれは真っ直ぐな評価ではないのは分かりますが、それでも救われた気持ちになりました。今まで気になってた、世界を目指してる人特有のいざ世界を相手にした時にあちら側に全て合わせる感じ、それを目の当たりにした時に感じるこちら側の恥ずかしさ、それがここにきてありのままでいいんだよという解放。

しかもありのままの質が目から鱗で、ありのままと言われるとつい「スシ、フジヤマ、ゲイシャ」と力が入ってしまい不自然になっていたのが、「いつも テンダネス だけど ロンリネス ガラス細工のフィーリング」というリアルにありのままな日本で育った我々の言語感覚で良かったという事で、とは言えここまでの考えは日本語以外話せない人間の理論武装にも思えて、結局ロックは西洋のものですからねー。

文・永野

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