マイケル・ジョーダンが“神様”になった特別な日

現地時間1986年4月20日。当時NBA2年目、若干23歳のマイケル・ジョーダンは、後に殿堂入りする選手5人を揃え、そのシーズンで優勝を果たしたボストン・セルティックスを相手に、たった1人で63点を挙げた。しかも、シーズン中に1敗しかしていなかったセルティックスの本拠地、ボストン・ガーデンでやってのけたのだ。プレイオフでの63得点はNBA最高記録であり、いまだに破られていない。

対戦相手で殿堂入り選手のラリー・バードが試合後のインタビューに答える。

「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だったね。今夜ジョーダンが成し遂げたことは誰にも真似できないと思うよ。彼は最もエキサイティングで素晴らしいプレイヤーだった。全国放送のプレイオフという大舞台で、史上最高クラスのショーを見せた。ほかの選手が、我々ボストンを相手にあれだけのプレイができるとは思えないね」

バードが語るように、当時“最強”だったセルティックス相手に行ったこのパフォーマンスは“異常”だった。ジョーダンはこの試合、殿堂入り選手のデニス・ジョンソンと、オールスター選手のダニー・エインジという2人のディフェンダーに多くの時間マークされていたが、そんなレジェンド級の2人を相手に42得点を挙げている。また、トータルで7人の選手と1回以上マッチアップしたが、まったく勢いが落ちなかった。その中には、バードやロバート・パリッシュら、5人の殿堂入り選手も含まれている。

彼らのディフェンスが決して悪かったわけではない。ジョーダンが放った41本のフィールドゴールのうち、38本は顔の前までハンドチェックがきていた。つまり、フリーの状態で放ったシュートはわずか3本なのである。最強セルティックスから徹底的にマークされながら54ポイント、1度目の延長戦で5ポイント、2度目の延長戦で4ポイントを記録したのだから、バードでさえも「神様が降りてきた」と言わざるをえなかったのだろう。

そして、この日はジョーダン本人にとっても“特別”な日だったようだ。ジョーダンが普段試合で履いている「Air Jordan」は、私たちが手にできる市販のものと同じものだが、この試合では赤い靴紐に変えていた。また、ジョーダンは毎試合新しいシューズを履いて、そのほとんどを誰かにプレゼントしているが、この時のシューズは珍しく取っておいてあるそうだ。

2年目のジョーダンにとって、プレイオフという最高の舞台で最強のチームを相手に“自分”という存在を確立したこのゲーム。やはり、ジョーダンのキャリアのなかでも代表的なゲームの1つである。

NBA/YouTube

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