バンドマン、プロレスラー、プロアイスホッケー選手… 天性の才能を持つ“ハードコアスケーター”

どのシーンにも多芸なプレイヤーという者は存在するが、スケートボードシーンにおいてマイク・バレリーほど、多彩な職業に就いた男はいないのではないだろうか。言うなれば、マイク・バレリーはスケートボード界のジャン・コクトーと言えるかもしれない。

多くのアマチュア・コンテストで活躍していたマイク・バレリーは、86年に当時の人気カンパニー<パウエル・ペラルタ>とアマチュア契約を結び、同年に『スラッシャーマガジン』の表紙を飾ったことから、翌年の87年にはプロライダーとして彗星のようにデビューすることとなる。

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そんな彼が多くのスケーターに注目されるきっかけとなったのが、88年に<パウエル・ペラルタ>からリリースされたタイトル『パブリックドメイン』のパートだ。オープニングで以前紹介したカリスマスケーター、マーク・ゴンザレスがリコメンドを寄せていることからも、このパートの重要性がわかる。それはマーク・ゴンザレスと同じく、「街中でスケボーを楽しむ」概念をクリエイトしたストリートスケートの開拓者の1人だからだ。

そんなスケーターとしても活躍したマイク・バレリーだが、85年には「レジスタンス」というバンドに参加し、「7セカンズ」などと対バンするなど、音楽のキャリアを地道に積んでいた。そうした中で03年には自身がリードボーカルを担当する「マイク・バレリー&ザ・ラッツ」というバンドを結成する。

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さらにすごいのは、10年に入るとフェデラル・ホッケーリーグの「ダンベリーホエーラーズ」とプロホッケー・プレイヤーとして契約をすることだ。
緑色のユニフォームを着用しているのがマイク・バレリー。流石に喧嘩早いところは健在で、デビュー戦6日目にして相手選手と殴り合いをかまし、退場させられてしまう。

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また、持ち前の腕っ節の強さからプロレスラーを経験していることも見逃せない。

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こちらはスケボーのハウトゥならぬ、マイク・バレリーによるプロレスのハウトゥ。スケーターからプロレスラーへの転身は、マイク・バレリーをおいて他にいないのではないだろうか。

こうして、いろいろな“顔”をもつマイク・バレリーだが、どれもしっかりと実績を残しているのが素晴らしい。スケーターのキャリアにも天性の才能さえあれば、多彩な道が用意されているのをマイク・バレリーが証明してくれている。

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