いよいよ、あのマイク・タイソンがリングに帰ってくる。“地球上最もヤバイ男”“アイアン・マイク”など数々の異名と、無数の伝説を持つボクシングの帝王が、11月28日(日本時間29日)にまさかの試合復帰を果たすのだ。
ボクシング界、格闘技界、スポーツ界、ショウビジネス界、いや、世界中でこれほどまでに名高く、同時に悪名轟くアスリートも稀だろう。たとえ相手復帰戦が51歳のロイ・ジョーンズJr.だろうと、タイソンがグラブをつけ、マウスピーズを含み、リングに再び上るというのは神話を再び目撃することに近い。それほどまでにマイク・タイソンという選手は圧倒的だ。
あまりに強く光を放ちながらも深い闇と混沌を生きてきたファイターであるタイソンの、これまでの戦歴で最も印象的なノックアウトを5つ選び紹介したい。
1987年 7月11日 ロレンゾ・ボイド戦 2ラウンドKO
KOの派手さという意味では他の試合もあるが、野生味とパワーだけでなく、タイソンの持つ、急所を捉える恐ろしいまでの正確さが表れているという意味で重要な試合だ。ヘビー級タイトルを3戦先に見据え、元警官で刑法を学んでいたボイドを相手に、近距離から鉛の塊のようなボディを左わきに叩き込むやいなや、直後に痛烈なアッパーカットを一閃。あまりのクリーンヒットで逆にあっさりと見えるかもしれないがタイソンの場合、これが当たり前。素人からするとこのアッパーもまるで造作無いほど一瞬、ロレンゾ・ボイドが倒れて初めて、「あ、やっぱりもろに入ってたのか」と気づくほどである。カウントを取るまでもなくKO決着となった。
1986年 7月26日 マービス・フレイジャー戦 1ラウンドTKO
タイソンは当時若干20歳、公式戦では25戦目。しかし賭試合、ドサ廻りを含めれば数え切れない修羅場をくぐってきた男である。178cmと体格的に決して大きかったわけではないことは、対する相手のマービス・フレイジャーを見ればすぐに分かるが、ゴングが鳴ると体格差とは別種の“差”があることが伝わってくる。試合開始からわずかたったの20秒(!)、コーナーに追い詰めるとすぐに得意のアッパー、そこからのコンビネーションであっという間にダウンを奪ってしまう。ついさっきまで闘気を放っていたとは思えない有様で力なくスローモーションのように沈んでゆくフレイジャー。むしろ心配したタイソンが様子を伺う状況は、レフェリーが試合を終了させTKOとなり、同時にドクターが緊急で呼び込まれたのだった。
1986年 11月22日 トレバー・バービック戦 2ラウンドKO
凄惨なタイソンのKOシーンの中ではコミカルというか、まるで漫画のようなKOだった。最初からハードな打ち合いを繰り広げ、パンチを放つたびに両者の体が後ろに弾ける様子からも一打一打の強烈さが伺える。だが、2ラウンド開始直後にタイソンの右フックがトレバーのこめかみあたりを貫くと試合は一気に動いた。この時はスウェイで威力を逃したのか、トレバー・バービックも倒れなかったが直後にもう一度右フック、そしてとどめの右フック。フックといえど、ものすごい重圧なのは見ているだけでも分かる。連続フックがその後の展開の扉をこじ開けると、まともに食らってしまったバービックはたまらずダウン。
そこからの試合はもう、まるでフィクションのようだ。バービックはファイティングポーズを取るも、もはや酩酊状態でフラフラ。まともな状態ではない。足が止まったバービックに千鳥足でクリンチされるも、むしろ落ち着き払って見えるタイソン。毒の回った獲物を、確実かつ安全に仕留めるタイミングを図る獣のようだ。クリンチを引き剥がし、ボディに一発、そして左フックを頭部に放つと、バービックは背中からゆっくりと崩れ落ちる。倒れたことでむしろ気がついたのだろう、慌てて現状を打開しようとあがこうとするも、フラついて立てず、まさに頭の周りを小鳥がピヨピヨしている状態。だがこれはカートゥーン(漫画)ではない、現実の試合なのだ。そしてこの試合でマイク・タイソンは史上最年少でのWBCヘビー級チャンピオンとして、ベルトを腰に巻いたのだった。
1988年 1月22日 ラリー・ホームズ戦 4ラウンドTKO
元ヘビー級王者、ラリー・ホームズは当時38歳、すでにピークを超えた年齢で、2年もリングから離れていた。それゆえランキング上位に位置することへの反論もあるかもしれない。だが、そういった条件差やホームズの事情を差し引いてもただひたすら圧倒的なノックアウトで、あまりに明確な世代交代の瞬間だった。
まず、経験豊富な試合巧者として4ラウンドまで戦ったことはホームズも評価されるべきだろう。勢いや馬力ではやはりタイソンの方が有利に見えるが、タイソンの恐ろしいパンチをギリギリしのぎながら1、2、3ラウンド。表情には恐怖が浮かぶが、まだ決定的なものはもらっていない。だが、3ラウンド終了間際、ついにタイソンの右でホームズの頭部が後ろに弾ける。その瞬間ゴング。あと3秒でも残っていたら凄惨な光景が広がったのではないだろうか? そして4ラウンド目。
爆発力の塊のようなタイソンの攻勢を止めようもなく、一度ダウンを奪われてからのホームズの終焉はもはや時間の問題だった。何発もらっただろうか、それでも倒れないホームズは偉大だったが、最後は崩れ落ちる。強さが正しい世界での残酷でドラマチックな世代交代マッチの幕切れだった。1978年から83年までベルトを巻いたホームズはこの試合後再び3年間、戦いから身を引くことになった。
1988年 6月27日 マイケル・スピンクス 1ラウンドKO
タイソンにとってはベルトが3つかかった重要な防衛戦。そしてマイケル・スピンクスは、オリンピック金メダリストで、3団体統一のライトヘヴィ級王者。そして、元ライトヘヴィ級王者として初めてヘビー級王者となった、いわばボクシングのエリートである。両者ともに無敗で、それぞれの圧倒的強さと経歴に、結果予想は当然分かれたが……しかし、である。近代ボクシング最高傑作のはずのスピンクスをしても当時のタイソンは止められなかった。それどころかわずか1ラウンドでタイソンは決めてしまったのである。
試合前にモハメド・アリとドナルド・トランプが会場を沸かせて、ゴングが鳴ってからわずか1分31秒のこと。タイソンの超重量級ボディの連続にスピンクスはキャリアで初めて膝をつく。もちろんここで終わるスピンクスではない。立ち上がり、ダウンから8カウントで再び試合再開するのだが。
まさに一瞬、一閃とはこのことだ。これほどまでに苛烈で劇的な一撃がかつてあっただろうか。かろうじて意識の残るスピンクスはなんとか立ち上がろうとするも、リングに力なく倒れこむ。一方のタイソンはグラディエイターのように悠々と両手を広げるのだった。マイク・タイソン35戦目、そしてなんと16度目の1ラウンドKOである。
今回のチャリティ戦をタイソンは「底辺を生きるヤク中ども、負け犬ども、そう、俺と同じようなクズどものために戦うのさ」と意気込みを語っている。もちろん現役当時と同じファイトを求めるのは酷かもしれない。だが、復帰戦が発表されてからは、トレーニング風景などが公開され、その年齢とは思えないキレと威力、殺気に世界は沸いた。
貧困と退廃の内に生まれ、黒人の希望となるも、愛する者を失い、犯罪者の烙印をも押され、それでも闘う意志を失わなかったマイク・タイソン。彼が再びグローブをつけてリングに上がることには、ただのチャリティ以上の意味がある。その理由の一端がこれらのKOシーンから伝わってくるはずだ。
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