マイケル・ジョーダンは、メジャーリーガーになっていたかもしれない

シカゴ・ブルズは1990年から3連覇を果たした。93年にはジョーダンもファイナルMVPを受賞するのだが、歓喜の最中でもジョーダンは新しい目標を見いだせず苦しんでいた。
そんな時期に、父のジェームズ氏が強盗に殺されてしまうという悲劇が起こり、父の存在を心の拠り所としていたジョーダンは失意の底に落ちる。そして、事件から間もなくして、NBAからの引退を表明することになる。

そして、亡き父の夢でもあった、メジャーリーグへの挑戦が始まるのだった。誰も予想していなかったMLBへの転向宣言、そしてシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミングハム・バロンズに入団が実現したのだ。

マイナーリーグ選手としてのキャリアがスタートし、生活は激変した。「遠征のため8時間バスに揺られ、コンビニに立ち寄ってポテトチップスを買い込んだり、楽しい経験だった。マイナーリーグの選手たちと友情を育んだよ」と語るジョーダンは、「とにかく努力をしたよ。結果を残せないことが失敗を意味するとは限らない。だって、少なくても、挑戦はしているのだから」と当時を振り返った。

NBA/YouTube

事実、ジョーダンは誰よりも早く練習場に来ては、誰よりも多くバッティング練習を行っていたそうだ。「バスケでは長らくトップに立っていたから、大切なことを忘れてしまっていたようだ。今は再び挑戦者となった。成功するには、一歩一歩を積み重ねることが大切。そして一歩ごとに『成功』の中身も違うんだ」

1日1000スイングを行うなど、誰よりも努力をした結果、飛躍的に技術が向上。次第に試合でも結果を残せるようになったジョーダンは、遂に初ホームランを決めた。「その瞬間、父が見守ってくれているような感覚があった。そして気づいたんだ。自分が成し遂げようとしていたのは、父の夢だったんだと。そして時間はかかったけど、そのことを受け入れ、どう向き合えばいいかもわかってきた。それはまるでセラピーのような体験で、精神的な安定にもつながった。自分にとって必要な時間と経験でもあったんだ」

しかし上向きな成績も、MLBがストライキに突入や球団とのトラブルでストップしてしまう。これをきっかけに、ジョーダンはNBAに復帰することを決めた。

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そして1995年3月、ブルズに本格復帰。しかし背番号「23」ではなく、マイナーリーグ選手時代と同じ「45」を背負っての復帰となった。シーズン末でのカムバックではあったが、ファンは大きな声援とともに歓迎。シカゴの街は再び熱狂に包まれたのだった。

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