マイケル・ジョーダン、“弟” コービーへ贈った追悼スピーチ全文

2月24日、ロサンゼルス・ステイプルズセンターで行われたコービー・ブライアント追悼式にマイケル・ジョーダンが登壇した。妻・ヴァネッサを残し、ヘリコプター事故で愛娘ジジとともに早すぎる死を迎えてしまったスーパースター。

彼を“弟”と呼ぶジョーダンのスピーチ全文を紹介したい。

おはようと言うつもりだったけど、もう午後になりましたね。
ヴァネッサ、そしてブライアント家のみなさん、今日この場で話す機会を与えてくれたことを感謝します。またジジとその才能、コービーが残してくれた贈り物にも追悼の意を表したいと思います。彼はバスケットプレイヤーであり、ビジネスマン、ストーリーテラー、そして良き父親でした。選手としても、父親としても、彼がやり残したことはない。全てをやりきって去って行った。

私とコービーが親しい友人だったと聞いて驚く人もいると思うが、実際とても親しかった。コービーは私にとって愛すべき友だっただけでなく、“弟”のような存在でした。よくコービーと私を比較したがる人がいるが、私はコービーについて語りたかった。

兄弟、姉妹がいる人、特に弟や妹がいる人ならお分かりだろうが、彼らはどういうわけか、服でも靴でも、あなたの持ち物を欲しがりますよね。それってすごく“迷惑”なんです。だけど、その迷惑が時を経ることによって愛に変わることがある。なぜならそれは年上の兄弟への憧れでもあるから。

ただし、彼らが何かを始めようとする時に、イチイチ質問してくるのは困ったことです。コービーは夜の11時半、午前2時半、朝方3時でも構わずメールや電話をしてきたものです。そして、ポストアップの動きやフットワークについて、時にはトライアングル・オフェンスについて話したがる。最初のうちはイラ立たしくてね。だけどそれくらい、彼は熱い奴なんだとわかりました。彼ほど情熱のある奴はいません。そしてその情熱は何より素晴らしくて、人を動かす原動力になる。情熱を注げるものなら何でもいい。それがアイスクリームでも、コーラでもハンバーガーでも。大切なことは、自分が好きなものがあったら自らの足で動いてそれを手に入れること。時には誰かに頭を下げなければいけないかもしれない。

私にとってコービー・ブライアントという男はとても刺激的な存在だった。私のプレイを誰よりも研究していたからかもしれないし、もしくはそれが彼が見せたかったスタイルだったのかもしれない。ただ言えるのは、彼は最高のバスケットボールプレイヤーになりたかったということ。

だから私もできる限り最高の兄になろうとした。真夜中の鬱陶しい連絡にも付き合ったし、めんどくさい質問にも答えた。そして彼を知るほどに誇りに思うようになった。彼は常に向上心があり良い人間になろうとしていたし、良いバスケットプレイヤーを目指していた。仕事の話もよくしたし、家族や友だちのことについても話した。何でも話せる間柄だったからわかる。彼はいつも良い人間になりたいと思っていたのです。

彼は今頃「やってやったぜ」と思っているでしょう。「ジョーダンの泣きっ面を晒してやった」ってね。これだから私は妻に今日ここで話すのはイヤだと言ったんだ。今日のこんな姿を今後3、4年振り返られるなんて苦痛だからね。でもこれがいつものコービー・ブライアントのやり方。ヴァネッサをはじめ彼を知ってる人ならわかるよね。彼は自分が不利な状況でもどうやったら相手にダメージを与えられるかわかっているんだ。でもだからこそ彼のことが好きなんです。こうやって相手の良いところを引き出そうとしてくれるから。

2、3ヶ月前だったかな、コービーがメッセージを送ってくれました。「娘にバスケのムーブを教えようとしてるんだけど、自分が娘の年の頃に何を考えて、どんな練習をしていたか思い出せない。マイケルがムーブを覚えようとしてた時はどうしてた?」って。娘は何歳かって聞いたら12歳だと。だから私は「その頃はまだ野球少年だった」って答えたんだ。そしたら「笑わせるなよ!」って返事がきた。午前2時の出来事だったよ。

バスケットボールについてはもちろん、人生についても一緒に語ることができた。大人になるにつれ、そういう友だちを持てるようにはなるけど、敵対する相手とそんな話ができることはなかなかない。

1999年だったか2000年だったか忘れてしまったけど、フィル・ジャクソンがレイカーズの監督に就任したとき、ここLAまで会いに来たんだ。部屋に入ったらそこにコービーが座っていた。それで最初に彼が発した言葉が、「シューズは持ってきた?」だった。いやいや、俺はそんなつもりでそこに行ったわけではないからさ。だけど彼は自分を高められる相手と勝負したいという気概にあふれていた。だからこそ彼のことが好きだったんだ。どこで会おうと、彼は私に挑戦してきた。そんな彼の情熱には本当に感心しているんだ。アスリートとしてだけでなく、父親としても夫としても、より良い存在になろうと日々努力していたことは尊敬に値する。

私にも30歳になる娘がいて、そしてつい最近双子が生まれて、私もおじいちゃんになった。今すぐにでも愛と笑顔にあふれる家に帰って、娘を抱きしめたい。家族や愛する人への接し方をコービーが教えてくれた気がしている。そして今後もコービーから学び続けるべきことでもあると思う。
ヴァネッサ、ナタリア、ビアンカ、カプリ、私と妻はいつでもあなた達の側にいます。
また事故に合った方々、そのご家族のみなさまにも哀悼の意を表するとともに、今後のサポートを約束します。

コービーはどんな些細なことでも、できることは最後までやりました。現役を引退してから、彼のクリエイティブな一面を知ることになりました。それは私もみなさんも想像しなかったことですよね。幸せそうだった引退試合の後、彼は新たな情熱を見つけます。指導者として、彼のコミュニティに貢献しようとしたのです。最後まで彼は良き父親であり、良き夫であり、家族や娘たちを心の底から愛していました。

コービーがコートでやり残したことはありません。そしてそれこそが彼が私たちに伝えたかったことでしょう。誰も自分の人生の残り時間を知りません。だからこそ今を生き、今を楽しまなければなりません。家族や友だち、愛する人たちとできるだけ多くの時間をともにするべきです。今を生きるということは、そういう人たちと時間を共有するということです。

コービーが亡くなって、私の一部も死んでしまった。
今日ここに集まったみなさん、そして世界中の人々にとっても同じことです。
ですから、この日のことを忘れないでください。そしてこの出来事から学びましょう。
私は誓います。私にはいつだって助けを必要としていた“弟”がいたということを忘れず生きていきます。

“弟”よ、安らかに眠ってくれ。

Los Angeles Lakers/YouTube

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