藤川球児氏は阪神タイガースにドラフト1位で入団して以来、リリーバーとして活躍した。その投球は清原和博氏から“火の玉ストレート”と評され、数多くの選手を無失点で打ち取ってきた。30代で一時メジャーリーグに活躍の舞台を移すも、不本意な結果に終わる。帰国後は日本のプロリーグに復帰し、通算150ホールドと通算150セーブの両方を記録した日本球界で最初の選手となり、2020年にシーズンを持って引退した。
メジャーリーグの挑戦を終えて、半年ほどプロリーグから離れていたにせよ、藤川氏は全体を振り返れば約22年半ものプロ野球界でのキャリアを持つ野球一筋の男だ。小学生3年生で野球を始めて、高校生のときにはキャッチャーの兄とバッテリーを組んで甲子園出場を果たしている。ところが、これまでに何度も野球をやめようと思ったと書籍『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』(藤川球児 著/日本実業出版社)で明かしている。

坊主頭が嫌だったり、周囲の期待への反発や、兄が野球部から去って気持ちが燃え尽きた等々、学生時代のエピソードは誰もが経験する思春期らしいもので溢れている。それがメジャーリーグでの挫折後は子どもと一緒の時間を過ごしたい、プロの世界で野球を楽しめなくなったなど、大人らしい悩みに変化した。肩やひじ、腰、ひざといった関節を何度も痛めて靭帯の移植手術を繰り返した。周囲の期待に応えるためなら「いつ潰れてもいい」という気持ちでマウンドに立ってきた。変化はそのせいもあるだろう。
プロ生活での晩年は心のどこかでずっと引退の二文字がチラついていたように見える。常に引退のビジョンを想定し、受け入れようとしていたのかもしれない。20代で阪神をクビになりかけた経緯から、いくらチームに愛着があろうと選手は球団からすれば駒のひとつ、と思い至る。
ただ、ファンを喜ばせたい、望まれるなら何球でも投げる意思がある、といった話から窺えるのは彼のウェットな一面だ。現役時代、最後の投球はひじの骨と靭帯が限界だったにも関わらず“火の玉ストレート”を再現しようと努めている。藤川氏の野球人生は監督や投球コーチ、ファンと、常に大部分が誰かのためのものだった。その姿勢が、長い長い現役生活を支えていたのかもしれない。
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