18歳のとき、ドラフト1位で阪神タイガースに入団した藤川球児氏は、度重なる体の故障に悩まされながらもリリーバーやクローザーとして活躍した。フリーエージェント権を行使し、30代で本場アメリカのメジャーリーグに挑戦。しかし2年半の間で登板したのは29試合に留まり、失意の中で帰国する。日本のプロリーグに戻ってからは、セ・リーグのシーズン最多セーブ記録を保持したまま現役引退を2020年に迎えた。
イチロー元選手など、メジャーリーグでの躍進が大々的にニュースとして取り上げられる人物が“光”だとすれば、藤川氏はある意味では“影”と言えるかもしれない。日本人プロ野球選手がメジャーリーグでも通用するのは確かだ。しかしプロならば誰しも活躍できるのかというと、そうではないところに野球という競技の難しさがある。野球は団体で行うスポーツだ。取り入れられている技術や道具などは進化を重ね、現代でもなお洗練され続けている。ただし、どこまで行っても選手を取り巻くものは人間なのだ。
藤川氏が引退後に出版した著書『火の玉ストレート プロフェッショナルの覚悟』(藤川球児 著/日本実業出版社)からは、その様子がうかがえる。彼のメジャーへの門出には最初から暗雲が立ち込めていた。阪神で初めて移籍を願い出てから、球団を抜けるまでに6年半。最後にファンへの挨拶を希望していたが、球団幹部から「出ていくやつにそんな挨拶なんかさせる必要はない」との声が上がり、ファン感謝デーの予定が覆されてしまう。渡米後もメンタル面でこの一件は響いたようだ。さらに海外選手の体格に合わせようとつけた筋肉が仇となり、靭帯の断裂が判明する。

1年1カ月後にようやく復帰したときはシーズンも終盤。コンディションこそ悪くなかったが、最初に移籍したシカゴ・カブスの2年間は15試合で契約終了となる。一方、ほぼ同時期に所属していたアジア系の選手が、練習における暗黙の了解を守らなかったため、チームメイトたちから不興を買っていた。藤川氏もそのとばっちりを受けたらしく、投手コーチから徹底して嫌われてしまっていた。藤川氏によればメジャーリーグは実力主義のように見えるが、実態としては人と人とのつながりが重視されており、現場の首脳陣ほど「感情的な相性を含めた人間関係が人事を左右するケースが多い」のだという。
カブス退団後に移籍したテキサス・レンジャーズでは投手コーチとのトラブルが尾を引き、噂話が監督の耳にまで届いていたことなどが影響してか、腕が回復してもリハビリ組としてマイナーリーグに据え置かれたまま契約終了を迎えた。その後の引き留めにあたっては「これは野球じゃない。僕は、野球がやりたいんだ」と藤川氏が断ったのも、やむを得まい。
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