番長・清原和博が語る、巨人時代とマスコミ報道

片岡篤史が運営するYouTubeチャンネルで、「清原さんのチャンスの打席に入る際の心構え、考え方とは…!?」が公開され、清原和博が巨人時代のマスコミ報道について振り返った。

片岡篤史チャンネル/YouTube

片岡の「高校時代からプロに入っても、あれだけいつもマスコミに囲まれてましたけど、やっぱり巨人に行ってからの囲まれ方、マスコミの数や環境は全く違いました?」という質問に、清原はパ・リーグからセ・リーグに変わった際にマスコミの人数が大きく違ったと明かす。

西武時代の取材は、ルーキーイヤーこそ多かったものの、その後はテレビは全局揃わず、新聞社も各社1人ぐらいが普通だったそうだが、セ・リーグに移り、因縁の阪神戦ともなると取材陣がおしかけてきたそうで、「ブワーってなるやん? それにまずびっくりしたよ。毎日それだから」と振り返った。

取材陣の人数の多さについて、片岡が「肩がこるというか『やりにくいな』『窮屈だな』みたいなのはありました?」と質問すると、清原は「あのときは長嶋さんが監督で、松井がおって、勝ったら松井や長嶋さん。だけど負けたら俺のせいみたいな」と、記事では理不尽な扱いを受けていたことを告白。

清原は巨人に入団した当初、長嶋茂雄監督から「打率は低くてもいい、勝負どころで打ってくれたらいい」と言われたという。しかし1年目は空回りをしてしまったそうで、「『打たなアカン、打たなアカン』って思うのと『よし打ってやろう!!』っていうのは気持ちの……。『打たなアカン』というのは上体がどんどんと上がってくるから。でも『よし!』っていうのはグッと重心が下がるというか」と、心境がバッティングフォームに影響を与えて数字を落としたと自己分析した。

片岡が「でも清原さんに、僕は『負けて一面張るのがホンマモンや』と言われました」と明かすと、清原は笑って「そうやなあ、お前も関西でだいぶやられた?」と質問。すると片岡は「デイリーの表紙(の色味)が、けっこうオレンジじゃないですか……、僕は真っ黒にしましたからね」と自虐的に語り、これには清原も爆笑だった。

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