倒産寸前だったアップルの復活前夜 | Apple Japan 元マーケティングコミュニケーション部長・河南順一 #1

1997年、突如として「Think different」のビジュアルが渋谷の街を埋め尽くした。仕掛けたのは、当時、倒産寸前に追い込まれていたアップルだ。

アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが最初に行ったのが、大規模なブランドキャンペーン「Think different」だった。ジョブズは「Think different」でアップルのマニフェストを宣言する。

<抜粋>
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから

アップルは創業した時の原点に戻り、世界を変えるクレージーな人たちのための革新的なプロダクトを届けることを世界に約束した。そして翌年、iMacを発売し、それから立て続けにiPodやiPhone、iPadなどの先進的なプロダクトを世に送り出し、アップルは世界的な企業へと返り咲いた。

3月21日に発売される『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』の著者であり、スティーブ・ジョブズの復帰前からアップル・ジャパンのマーケティングコミュニケーションチームの責任者として「Think different」キャンペーンに携わり、激動の時代を見てきた河南順一氏に当時の話を聞いた。ジョブズが復帰する直前の社内の様子から、ジョブズ復帰後の変化、その後のアップルの成長まで、複数回に渡って同社の辿った道のりをお伝えしたい。

ジョン・スカリー時代のアップル

大熊:河南氏が入った頃のアップルはどのような様子でしたか?

河南:私が入ったのは1989年、もうスティーブ・ジョブズはいなくて、ジョン・スカリーが社長で、ちょうどマーケットが世界中で伸びていた時期でした。日本でもマーケットが伸びていて、日本でのビジネスをもっと広げようとしているタイミングで私も入った形です(アップルコンピュータジャパンが設立したのは1983年のこと)。

大熊:その時はアップルのビジネスもノリノリで?

河南:ノリノリで、ある意味勘違いしていて(笑)
というのも私はマーケティングをやっていたのですが、何をやっても売れるから、「自分はすごいマーケッターなんだ」と思うわけです。ただ、マーケットが悪くなると、同じようにはいかなくなって、今までやってきたこと全然響かないなという状況になりました。

大熊:ジョン・スカリーが統率していたアップルはどのような会社でしたか?

河南:スカリーはマルチメディアというのを打ち出して、先進的なものを色々と出していました。最初はまだマーケットも伸びていたのですが、業績が低迷するとCEOがマイケル・スピンドラーに変わって、このあたりからますます調子が悪くなってきました。スピンドラーもダメで、次はナショナル・セミコンダクター(同社は半導体を生産販売する企業)を再建した手腕を買われて、ギル・アメリオがやって来た。
当時、アップルには色んな事業部があって、パソコン以外にもモニターやレーザープリンター、インクジェットプリンター、サーバー、他にもデジタルカメラ、あとは細々とした、プリンターで使うインクやネットワークのコネクタなども作っていました。会社が分散する中で、色んなことをみんなが思いついて、勝手にやりだしていた状態です。
組織の統率が取れなくなっていましたが、アメリオも事業の縮小とかは全然できなくて。実際にはアップルを売るつもりで、色んな会社と交渉していました。

倒産寸前に宿敵マイクロソフトからの支援

大熊:商品が売れなくなったのには理由があるのですか。

河南:一番インパクトが大きかったのは、Windows 95が出たことです。マイクロソフト陣営は、OSをライセンス提供し、一気にシェアを広げました。彼らはクリエイティブ面というよりも、オフィスの生産性を上げるというところで広がった。
そうした状況を目の当たりにして、アップルもオフィスの市場に広げなきゃと色々やりました。例えば、当時すごい勢いで成長していたミニコンピューターの会社DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)と組んで、クライアントサーバーなどを用意し、ビジネスでもこれだけ使えますとアピールするソリューションも一応あったのですが、なかなか受け入れられなくて、ビジネスは広がらなかった。

大熊:当時のWindowsを使ってみた感想はどうでしたか?

河南:アップルにいるとアップルに染まっているので、Windowsは、「こんな、しょうもない」みたいな感想でした(笑)
マッキントッシュのOSの優位性は、GUI(グラフィック・インターフェイス)で使いやすいこと。つまり、パソコンや技術的な訓練を受けたことがない人でも使える、というのが売りです。Windowsも一応GUIで、見た目は似ているけど、使い勝手は違うよね、という印象でした。
ただ、色んな展示会でベンチマーク(処理速度などを測定するテスト)の結果を出すのですが、処理スピードを比較するのに同じアプリケーションを走らせると、Windows系の方が早いというのはありました。
マイクロソフトとは根本的に設計の思想が違っていましたね。アップルの場合、その当時はクローンも出していないし、何かの機能をハード側とソフト側の両方で実現する一体型のプロダクトを作っていました。

一番こだわっていたのは、やっぱりGUIで、いかに使いやすくするかというところです。例えばOSも、コンピューティングリソースを処理スピードよりも、GUIの処理の方に使っています。具体的には、ファイルをゴミ箱に捨てると、ゴミ箱が膨らむとかです。ですが、ビジネスユーザーからするとそういう機能は別に要らないということになる。
そしてGUIにこだわると、それだけコンピューターのリソースを使うので、処理スピードが落ちてきます。「アップルは使いやすさだよね」というところにアップルの社員はフォーカスしていたので、Windowsを使うと、なんだか使いづらいと感じていましたが、逆にビジネスユーザーからすると「アップルは遅いし、安定していないし、つまらないところに処理スピードを取られて、仕事には使えないな」という評価がありました。その時はWindowsもそんなに安定していなかったのですが、こうした評価はある意味当たっていたと思います。

大熊:マイクロソフトとは因縁が深いですね。

河南:彼らは競合ですけど、マイクロソフトのビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズはすごく仲が良い時代もありました。もともと表計算ソフトの「エクセル」はマッキントッシュ用にできたソフトウェアでもあります。エクセル以前の「Lotus 1-2-3」といった表計算ソフトは、基本キーボードで操作して使うのですが、GUIを生かしたエクセルは、マウスで操作できて、ビジュアルもインパクトがあって、使い勝手がすごくいいプロダクトになりました。(Lotus 1-2-3も後にGUI対応に)
ただ、Windowsが出ると、当然、エクセルもWindows版が出ます。当時、エクセルはビジネスユーザーが一番使っていたソフトだと思いますが、そうしたキラーソフトがWindowsでも使えるとなると、マッキントッシュの優位性がまた1つなくなることになります。

大熊:社員はマイクロソフトをどのように見ていましたか?

河南:当時、アップルの社内では基本マイクロソフト製品は使わないという合意があって、プレゼンテーションもパワーポイントは絶対使わないという状態でした。
それが一気に変わったのが、1997年、ボストンでの「Macworld Expo」(アップルが製品の発表や展示を行っていたイベント)です。スティーブ・ジョブズはこのイベントで「アップルに戻って来て、これから暫定CEOとしてやります」と発表しました。さらに、議決権のない株をマイクロソフトが買う形で、出資してもらい、彼らと手を結ぶという発表をしました。エクセルを含め、マイクロソフトのアプリケーションの開発も続けると。その当時、アップルは倒産寸前だったので、誰も出資をしようなんて人はいなかったのですが、スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツとの関係でサポートしてもらえた。

ただ、一部ブーイングもあって。一部というか、ほとんどでしたけどね(笑)「Macworld Expo」の発表でビル・ゲイツが大写しに映った時、社員はみんな度肝を抜かれて、ブーイングも起きた。
その発表から、競合マイクロソフトは、これからはパートナーだということになった。実際に社内でお達しが出たのは、まずはブラウザをマイクロソフトのインターネットエクスプローラーに切り替えるということでした。スライドもパワーポイントを使うと。
これにアップル社員はみんな非常に衝撃を受けて、抵抗があった。ビジネス的にはマイクロソフトと歩み寄ったのですが、社員の意識としては「あんな会社と手を組むなんて」みたいな部分はありました。
ただ、アップルはもう立ち行かない状況で、「これをやらないともう消えるだけだ」とみんなわかっていたので、受け入れたという感じでしたね。

(次回:#2 ジョブズ復帰でアップル社内はどう変わったか

河南順一/Junichi Kawaminami
同志社大学大学院ビジネス研究科(同志社ビジネススクール)教授。同志社大学商学部卒業、アリゾナ州立大学W.P. Carey School of Business MBA修了。日本マクドナルド、アップルジャパンなどに勤務。ディレクターとしてマーケティング、ブランドマネジメント、広告宣伝、広報、危機管理、エバンジェリスト、社長室などを統括。アップルでThink differentを掲げたブランド戦略の展開、マクドナルドでCEOコミュニケーションの一新を担うなど、ブランド再生や企業イメージの刷新に携わる。

大熊希美/Nozomi Okuma
スタートアップやテクノロジーについて書くライター/翻訳家。ケン・シーガル著『最強のシンプル思考』(日経BP社)を翻訳したご縁で今回の取材を担当させていただきました。

『Think Disruption アップルで学んだ「破壊的イノベーション」の再現性』3月21日発売 – 河南 順一(著)

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