乱闘・流血上等 “ジョーダン・ルール”が生み出された日

「GOAT」(Greatest Of All Time=史上最強の選手)や「バスケの神様」として、バスケットボールだけでなくスポーツ界の歴史にその名を刻んだ元シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダン。ご存知の通りオフェンス・ディフェンスを含めたあらゆる面において超一流のプレイヤーではあるが、通算10回の得点王に輝くなど、特に卓越していたのがスコアリングだ。

また選手として数々の記録を達成してきた一方で、ストリートファッション、ストリートカルチャーに絶大な影響を残したことも忘れてはいけない。1984年、Nikeからシグネチャーシューズのエア・ジョーダン初代モデルが発売されるとシリーズ化され、1990年代にはジョーダン自身の人気とともにエア・ジョーダンも世界的に爆発的なヒットとなり、今日まで30年以上続くブランドに成長を遂げた。

ジョーダンが記録したハイスコア、そしてその瞬間に履いていたエア・ジョーダンを同時にチェックしてみよう。

・59得点
・1988年4月3日 シカゴ・ブルズ VS デトロイト・ピストンズ
・着用シューズ:エア・ジョーダン3 セメント

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ジョーダンを長年苦しめたライバルチームとして有名なデトロイト・ピストンズ。その屈強なフィジカルとタフなディフェンスでリーグを席巻し1989、90年と2連覇を達成した。そして、ジョーダンが苦しむ原因となったのがいわゆる“ジョーダンルール”と呼ばれる戦術だ。これはジョーダンの圧倒的な得点力を封じるため、常にダブルチームやトリプルチームで囲み、さらにダンクやレイアップで得点されるくらいならばハードなファウルで阻止するという目的を徹底した、ジョーダンのオフェンスを封じ込めるディフェンスだ。ハードなプレイとは裏腹に細かいルールや動きが設定されており、ピストンズの統率力とディフェンス力があったからこそ実現できた戦略とも言える。

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そんな“ジョーダンルール”が生まれるきっかけとなった試合が、1988年4月3日のシカゴ・ブルズ対デトロイト・ピストンズ戦だ。ジョーダンはそれまでにも幾度となく50〜60得点を奪い、ピストンズを悩ませてきた。そして、この日もジョーダンの得点ショーが幕を開ける。

次々とシュートを決めていくジョーダン。キャッチ&シュート、フェイダウェイ、ターンアラウンド、ダンクシュートなどなど、やりたいプレイがいつでもできるまさに“無双”状態だった。試合自体は拮抗していたが、残り時間約24秒でピストンズの“エース”アイザイア・トーマスが狙ったフィールドゴールをジョーダンがブロック。

さらにその直後にはスティールを決め、フリースローで2点を加えてそのまま試合は終了。試合後のインタビューでは「今日はとても解放されていた感じだった。チームメイトにもロッカールームで『今日は調子がいいぞ。プレッシャーを感じずに自分たちのゲームをしていこう』と話していたんだ」と言うように、試合前から調子の良さを感じていた様子だった。

ジョーダンはこの日の夜、トータルで59得点を稼ぎだし、チームの勝利に大きく貢献。エア・ジョーダン3 セメントを着用して、ブルズのほとんどの得点に絡む活躍を見せた。シューズは名前の通り、セメントのようなデザインが印象的な一足だ。また、シリーズで初めて“ジャンプマンロゴ”を冠し、現在まで長きにわたり羨望のまなざしを向けられる、ジョーダンのアイコンの元祖になるシューズとなった。

そしてこの試合を終えたピストンズの名将チャック・デイリーが、「我々はジョーダンが二度と私達をひとりで倒すことができなくなることを確信した」と気になる発言をしている。

そう、皮肉にもジョーダンの圧倒的な活躍によって、後に長く苦しめられることになる“ジョーダンルール”が生まれるきっかけになったのがこの夜だったのだ。

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