「GOAT」(Greatest Of All Time=史上最強の選手)や「バスケの神様」として、バスケットボールだけでなくスポーツ界の歴史にその名を刻んだ元シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダン。
ご存知の通りオフェンス・ディフェンスを含めたあらゆる面において超一流のプレイヤーではあるが、通算10回の得点王に輝くなど、特に卓越していたのがスコアリングだ。
また選手として数々の記録を達成してきた一方で、ストリートファッション、ストリートカルチャーに絶大な影響を残したことも忘れてはいけない。1984年、Nikeからシグネチャーシューズのエア・ジョーダン初代モデルが発売されるとシリーズ化され、1990年代にはジョーダン自身の人気とともにエア・ジョーダンも世界的に爆発的なヒットとなり、今日まで30年以上続くブランドに成長を遂げた。
ジョーダンが記録したハイスコア、そしてその瞬間に履いていたエア・ジョーダンを同時にチェックしてみよう。
・63得点
・1986年4月20日 東地区プレーオフ一回戦 シカゴ・ブルズ VS ボストン・セルティックス
・着用シューズ:エア・ジョーダン1 シカゴ
ジョーダンは1985-86シーズンのレギュラーシーズンではケガの影響もあり18試合にしか出場できていなかった。そのため大黒柱不在のチームはプレーオフにもなんとか8位で滑りこむという状況だった。プレーオフ一回戦で当たるのはレギュラーシーズンぶっちぎりの成績で東地区1位となったボストン・セルティックスと対戦することになった。
迎えた第2戦でのジョーダンのパフォーマンスは神がかったプレーどころではなかった。対戦したラリー・バードが「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」と評する有名なコメントを出させる程の信じられないプレーを見せたのだ。
この時点でのチームとしての成熟度はバード率いるセルティックスの方が断然に上だったが、ジョーダンは果敢にドライブし、ジャンプショットを次々と決めていく。残り時間もなくなり、万事休すかと思われたところでも決して諦めることのなかったジョーダンは、何と二回のオーバータイム(延長戦)に持ち込んだ末に勝利したのだ。このゲームでジョーダンが獲得したスコアはなんと63得点、プレーオフでの最多得点記録となり、30年以上経過している現在まで破られていない大記録だ。
結果的にチャンピオンチームとなったのはセルティックスだったが、王者を相手に大激闘を繰り広げたジョーダンがこのシリーズで履いていたのは、現在もカラバリ豊富な人気シリーズで、ジョーダン初のシグネチャーモデル「エア・ジョーダン1 シカゴ」だった。「エア・ジョーダン1 シカゴ」はジョーダンの超人的活躍を足元から支えるバッシュとしての性能はもちろんのこと、白を基調としたモデルが主流だった時代に赤を基調とするブルズカラーのカラーリングが革新的で、ファッション面でもワールドワイドな人気に火をつける契機となる一足になった。
そして、神の異名を与えられたマイケル・ジョーダンもシューズ人気に負けることなく、翌シーズンからはNBAの覇権を競う唯一無二のプレイヤーとしての道を歩んでいくこととなっていくのである。
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