14歳を生きる少女の特別ではない日々 『はちどり』が教えてくれること

新型コロナウィルスによって、世界中の“今日”が失われ、誰もが新たな“明日”に向き合わねばならなくなった。僕が『はちどり』を観たのは6月29日のこと。アキ・カウリスマキの『希望のかなた』のプリント上映で劇場を再開したユーロスペースだった。感染対策で半分になった客席はほぼ満席、映画に対する評価の高さは確かに浸透していた。

『はちどり』を観て最初に感じたことは、日常の様々なことに鈍感になってしまった自分自身の感覚に対する懐疑の念だ。ウニという名の小さな少女に負けないぐらい、もっともっと生きることに敏感だったはずなのに、いつの間にこんなに鈍くなってしまったのだろうか、と。

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14歳のウニは中学2年生。進学コースから少し外れた高校に通う姉と、ソウル大学を目指す兄、ふたりの進学に躍起になり、がむしゃらに学業を応援する両親と暮らしている。

父は餅屋を営んでおり、家族総出で手伝うこともある。特別な御礼をするときは、母が風呂敷に飛びっ切りのお餅を包んでくれる。授業中や塾での退屈な時間には、ウニは大抵漫画を描いている。別の高校に通うボーイフレンドとのツーショットや親友のこと、花や星を描くこともある。

父はいつも家長として虚勢を張っている。家族に厳しい彼は、時折、おめかしをして出かけていく。家族全員が知っていることだが社交ダンスに通っているのだ。母は「疲れた」と言っては、ウニに「肩に湿布を貼ってくれ」と声をかける。店から抜け出す主人と違って、仕込みから店番まで終始働いている母は疲れが溜まっているのだ。だから家に居るときは大抵横になっている。でも、お腹を空かせたウニのためにチヂミを焼いてくれる。

ある日、外を歩く母を見つけたウニは「お母さん!」と呼びかけるが、その声は風にかき消されたかのように届かない。何度も声をかけるのだが、母はそのまま姿を消してしまう。その時、お母さんがとっても遠くにいるように思えた。

学校が終わって家に帰ると、受験勉強中の兄に殴られることがある。親友のジスクもやられているらしく、ウニだけに限ったことではないようだ。感情に任せて打ちつける理不尽な兄の暴力を、ただじっと嵐が過ぎ去るのを待つように耐える。夕食時、兄に殴られましたと父に告げても、形だけの叱りだけで話は濁されてしまう。どうしてなのだろう。無防備で抵抗もしない妹を一方的に殴ってもなにも変わることはないはずなのに…。誰も分かってくれない。そんな思いを抱えたウニの前に、漢文塾の新しい女性教師ヨンジが「私も漫画が好きよ」と語りかける。

朝起きて学校に向かう時も、退屈な授業中に落書きしている時も、家族総出で餅を作っている間も、塾の先生との他愛のない会話でも、ウニの周りでは実に色んなことが起こっている。突然見ず知らずの年下の女子から告白されて戸惑ったり、勇気を振り絞って病院に行くこともある。14歳を生きる少女のあれこれが静かに押し寄せ、昨日とは違う今日へとつながる時間の連続が物言わぬ緊張となって伝わってくる。キム・ボラ監督による脚本の構成力は抜群だ。後半のクライマックスには、1994年を象徴するする歴史的な大事件も据えられている。

でも、声を大にして言いたいのは、この作品の真価は特別ではない日々の描写の中にこそある。ウニの視線がとらえた先にいる人々の姿と彼らの行動や言動。ひとつひとつの出来事に対して、ウニは常にまっすぐで、一生懸命に考え、悩み、葛藤しながら、静かに行動する。その時々で彼女はどんな選択をするのか。

14歳の少女のすぐ傍らにある、言葉にならない空気感を見事にとらえた『はちどり』が教えてくれることは、“今”を生きる勇気だ。誰もが体験したことのある、目に見えない“明日”に一歩を踏み出そうとする意思。ウニのひとつひとつの所作に、生きるということの気づきが満ちている。この“静かな傑作”を決して観逃さないでもらいたいと切に願う。

文・髙橋直樹

『はちどり』について

『はちどり』公開後、いろいろな方からなぜこの時期にヒットしたのかを尋ねられます。
私にもよくわからないのですが、監督が若くて、配給会社も若くて、そしてお客さんも若い人たちがたくさん来てくれて、としか説明できませんでした。
昨年のカンヌ映画祭のパルム・ドールとアカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』やNetfixの『愛の不時着』の世界的な大ヒットが今の韓国映画のブームを支えていることは確かですが、本国の韓国でもアートハウス=ミニシアターを運営している若い会社がこの映画を配給していると聞きました。
『はちどり』の14歳の少女と同じように他者の手を少し借りながら自分の新しい世界に踏み出していくその大きな期待と小さな不安。誰もが経験したことのあるその瞬間をみずみずしく切りとる力。当たり前のことの新鮮さ。
私もウニみたいにこの映画を観終わったとき、顔つきが変わっていたんじゃないでしょうか。

ユーロスペース支配人 北條誠人

はちどり』はユーロスペースほか全国順次ロードショー

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