いつ殺されるか分からない、拳銃持ってるヤツが強い… 怒髪天・増子直純のターニングポイント

札幌の音楽シーンで活躍し、仲間たちと上京。しかしアルバイトをしながら音楽活動を続けていくと、三十路に差し掛かるころには、一緒に上京した者たちの多くがすでにバンドを辞め、さまざまな想いを感じるようになる……2019年に結成35周年を迎えたバンド・怒髪天の増子直純もそうした時期があったと、『怒髪天 増子直純自伝「歩きつづけるかぎり」増補改訂版』(音楽と人)で振り返っている。

彼は30歳で結婚したことをきっかけにバンド活動を休止すると、以後はしばらくの間、生活を支えるために働くことになった。活動休止後、彼が最初に就いた仕事は建設現場での生コンの手配師。それは、「だいたい目見当でどのくらいの量のコンクリートが必要か産出していく仕事」だったというが、そうこうしているうちに、現場で知り合った人から別の仕事を紹介される。包丁の実演販売士だ。彼は師匠と兄弟子について回りながら包丁を売って歩いたが、彼らに比べると売れ行きは芳しくなく、その力の差を痛感させられたという。

その後、知人が留守中の“代役”という形で、増子は繁華街に店を出す違法な露天商たちのまとめ役となった。しかしそこは“そのスジ”の人々が暗躍する世界。妻にも仕事の内容は話せず、家を出た瞬間から、いつ殺されるかわからない恐怖に怯える毎日だったそうだ。だが、この仕事を通じて彼が得た経験は非常に大きなものであったという。

「ハードコアとかパンクやりながら、“どのバンドの誰が喧嘩が強い”ってはしゃぎあってるのは、ほんと子供の遊びとしか思えなかった。考え方も目つきも、今とはだいぶ違っていたと自分でも思う。どれだけ体を鍛えたって、拳銃持ってるヤツのほうが強いという身も蓋もない世界。俺はここに居られないってことがわかったことも大きかったし、普通に生活できることがどれだけ有り難いことか、ほんと身に沁みたよね。人の営み。ただ単に日常を生きていくことが、いかに愛おしいことか、いかに大事なことかっていう。それは本気で思ったな」

この仕事を半年ほど続けた後で、彼は“上役”からの誘いを固辞して身を引くと、輸入雑貨店の店長などをつとめ、さらにはプロレスのリングアナなどを経験した末に、再びバンド活動を再開することとなる。ほどなくして、彼が出入りしていた“上役”の事務所に銃弾が撃ち込まれて抗争に発展するなど、ちょっとした事件になったらしい。

一方、再始動後の怒髪天は地道に活動を続け、増子自身の活躍の場も広がっていくこととなる。やはり人生というものは、そのターニングポイントでの“気づき”が、いかに大事かわかるエピソードだ。

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