なぜ“問題児”になったのか? デニス・ロッドマンの悲しい過去

「彼は違う畑のアーティストだ」「アスリートと言うよりもロックスターだね」と周囲の人が語るように、単純にバスケットプレイヤーという枠組みだけでは語れないのがデニス・ロッドマンだ。ロッドマンはコートのなかでは常に全力でプレイし、勝つためには手段を選ばない。一方で、コートの外でも全力で人生を楽しむ魅力的な選手だった。そんな“デニス・ロッドマン”というプレイヤーが誕生したのは、他ならぬ彼の不遇な幼少期のせいかもしれない。

ロッドマンは母と2人の妹たちと育つ。父はロッドマンが3歳の時に家族を残してどこかに行ってしまった。その後は、母がスクールバスの運転手など、最大4つの仕事をかけもちしながら家事をこなして子どもたちを育て上げたのだ。

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しかし、母親の愛情の多くは妹たちに注がれていた。それというのも、妹たちにはバスケットボールの才能があり、めきめきと頭角を表して大学では全米選抜に選ばれるほどだったからだ。一方のデニスは、とび抜けて何かが得意なわけではなく、妹たちと比べられて笑いものにされることが多かった。そのため、とても内気な性格で育つ。しかし20歳のころ、ロッドマンに転機が訪れる。身長が175cmから203cmまで急激に伸びたのだ。

ロッドマンは当時の心境を「203cmだぜ!『オレはデニス・ロッドマンになったんだ!』って感じだったよ」と語っている。そして身長の急激な伸びと同時に、妹たちのようにバスケットボールの実力もグングンと伸ばし、ついにはサウスイースタンオクラホマ州立大学から奨学金のオファーが来るほどだった。

サウスイースタンオクラホマ州立大学で、ロッドマンはすぐに注目を浴びる存在になる。デビュー戦から40ポイント、20リバウンドという成績を残し、何よりも楽しんでプレイしていた。1986年の春には、大学の2部リーグに相当するNAIA(全国大学体育協会)でチームを準決勝まで導き、自身は3年連続で全米選抜に選ばれるほどに成長。そんなロッドマンを当然NBAのチームが放っておくわけがなく、1986年にデトロイト・ピストンズにドラフト指名された。

親からの愛情が少ない幼少期から、急激に注目を浴びるようになった青年期。そんなジェットコースターのような人生が“デニス・ロッドマン”という興味深いキャラクターを作る原因になったことは間違いないだろう。

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