韓国映画の“怪物”ポン・ジュノ監督の才能は、なぜ生まれたのか?

仏カンヌ国際映画際パルムドールに続き、米アカデミー賞では作品賞など4冠を獲得した映画『パラサイト 半地下の家族』。2大映画イベントにおいてダブル受賞を達成した作品は64年ぶりであり、非英語圏の映画としては初となる快挙だった。

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この偉業を成し遂げた韓国人映画監督のポン・ジュノについて、歴代作品についての分析や考察、生い立ち、DNA、韓国のエンタメビジネスといったあらゆる視点から研究したのが『ポン・ジュノ 韓国映画の怪物』(下川 正晴/毎日新聞出版)である。

元毎日新聞論説委員・ソウル支局長を務めた経歴を持つ下川氏によれば、ポン・ジュノの芸術家としての才能は、母方の祖父である韓国モダニズム小説の先駆者・朴泰遠(パク・テウォン)のDNAが色濃く受け継がれたものだという。

それぞれの時代における都市生活者の生活と哀歓を巧みに再構成した作風や、文化の最新潮流を貪欲に吸収する能力。片や小説の挿絵、片や絵コンテのイラストに見る画才。時代や環境によって大きく変貌する作品。祖父から孫への隔世遺伝を、下川氏は丁寧に紐解いていく。

1910年、日本による韓国併合の年に生まれ、その青春を日本統治下の近代化とともに過ごしたたパク・テウォン。法政大学に留学し、大恐慌後のエロ・グロ・ナンセンス時代の東京で、モダニズム、考現学、映画のエキスを存分に吸収する文学青年だったという。日本の敗戦により朝鮮半島の植民地支配が終焉を迎える前後、パク・テウォンは思想的に揺れ動いていたが、やがて朝鮮戦争が始まると妻子を残して越北することなる。平壌でのパク・テウォンは「南労党粛清」の荒波をくぐり抜け、歴史小説家として名を残しつつ、失明と半身不随といった病苦と戦いながらも、北で作り上げた新しい家族に看取られて76歳でその生涯を閉じた。

一方で、ソウルに残された妻子は朝鮮戦争後も苦難の道を歩んでいた。妻はソウルが北朝鮮軍に占領された際に、北側の女性連盟の仕事をしていたが、そのことが韓国軍のソウル再占領後に問題となり、懲役刑に服すこととなった。背景に、有名人だった夫・パク・テウォンの「越北」があったことは明らかである。彼女は出獄後に重い心臓病を患い、晩年には5年間寝たきりで過ごし、ひたすらパク・テウォンの消息を待ちわびながら失意のうちに亡くなった。

下川氏が強調するのは、ポン・ジュノ一家の100年史で重要なのは「南北離散家族」であるということ。さらに、韓国の家族史/民族史を考察する上で南北離散家族問題は重要なファクターだが、ポン・ジュノはこれまで言及したことはなく、映画化もしていない最大のテーマだと指摘する。

果たして韓国映画の“怪物”はどのような「家族史」を撮るのか。あるいは撮らないのか。米アカデミー賞4冠を獲得した2020年、50歳という人生の大きな節目を迎えたポン・ジュノの去就に注目していきたい。

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