正義 vs 悪ではない ノーラン版「バットマン」のヴィランの大義とは?

いまやハリウッド映画において欠かせないジャンルとなったスーパーヒーロー映画。毎月のように新作が公開され、マーヴェル、DC、ダークホースコミックスを原作とするスーパーヒーローたちがスクリーン狭しと活躍している。

Warner Bros./YouTube

そんなスーパーヒーロー映画を語る際に欠かせないのが悪役=ヴィランの存在だ。ヒーローたちに敵対する者として登場し、ヴィランの影が濃ければ濃いほどヒーローたちもより輝くと言えるだろう。これまでに多くの個性的なヴィランが誕生してきたが、クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』(2005年)、『ダークナイト』(2008年)、『ダークナイト ライジング』(2012年)からなる「バットマン三部作」に登場したヴィランたちは、いずれも観客に強烈な印象を残した。

そんなノーラン監督の「バットマン三部作」を様々な知見から深く分析した、作家であり自身も研究者として活動する遠藤徹氏の著書『バットマンの死:ポスト9・11のアメリカ社会とスーパーヒーロー』(新評論)では、スーパーヴィランたちそれぞれの目的を以下のように総括している。

・アメリカ的覇権への異議を唱えたラーズ・アル・グール(バットマン ビギンズ)
・後期資本主義社会の矛盾を突きつけたジョーカー(ダークナイト)
・プロレタリア革命を実践しようとしたベイン(ダークナイト ライジング)

こうして目的を俯瞰して見てみると、一つ気づくことがある。それはヴィランたちにも大きな「大義」があるということだ。テロや暴力を手段とすることには大きな問題があるものの、彼らには一貫した理念がある。それは正義と悪といった分かりやすい構図ではなく、正義と“もう一方の正義”という構図になっている。それはバットマン自身の“暴力を持って暴力を制す”という、矛盾した行いと合わさることでより物語に深みを持たせていると言えるだろう。

そしてそこには2000年代初頭にアメリカが抱えていた問題も色濃く反映されている。対テロ戦争に突入した当時のアメリカは“ならず者国家”を仮想敵としながらも、そこに迷いを持っていた。はたして彼らを単純な悪と断じてしまっていいのか。はたして圧倒的な暴力による鎮圧は正義なのか。

第1作の公開から15年がたってもいまだに愛されるノーラン監督の「バットマン三部作」。そこには当時のアメリカがはらんでいた危うい空気感が切り取られているといっても過言ではないだろう。本著を片手に作品を振り返ることで、現代まで続くアメリカの“傷”を知ることができるかもしれない。

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